信じたい、だから
簡単な、ことだ。
実行するだけなら。
肝心なのは、その一歩を踏み出せるか否か。
踏み出すための、理由。
本当なら、黙っていられないから、で充分。
それで足りないなら、早く行かなければコーヒーが冷める……を付け足そう。
どこかで狂っている思考は、まだ迷いの靄がかかっている。
しかし、迷っている暇なんて、俺にはない。
「ヴィレッタ」
彼女が、振り向いた。
「コーヒーの一杯くらいは飲んでおいた方がいいのではないか?」
オペレーションSRWは現在艦隊戦の最中だった。
格納庫では来るべきフェイズ4に備え、急ピッチの作業が進められていた。
そして我々パイロットは、「急いで休め」と艦内待機を命じられていた。
ある者はモニターに映る外の戦闘を実況し、
そしてまたある者……と言うよりも俺は、整備を手伝おうとして少佐は休んでください、という
涙が出るほどありがたい気遣いをかけてもらい、途方にくれていた。
何もしないでいるほど、嫌なことはないというのに。
艦が、揺れた。
――取り敢えずコーヒーでも飲んでおこうか。
歓声を聞き、整備の様子を見渡しながら、揺れる格納庫を進んだ。 そして、その時だった。 俺の語彙も貧弱なものだ、と思う。
その感情を表す言葉が、全く見つからない。
それは一瞬だった。
格納庫を何気なく見渡して、垣間見た……垣間見てしまった、あの光景。
例えるなら、川面に映る三日月。
弱い光に照り映える、雫。
ヴィレッタ・バディム……?
かの人の名を呼ぶ。
声にならないままに。
一瞬だけ、関係のないことだと思ってしまった。
彼女が俺を信用しておらず、俺もそうだという理由だけで。
しかも、それで一時は納得してしまったのだ、俺は。
酷い自己嫌悪。
泣いている人間を見過ごしたこと。
そして、信じていないにも関わらず気遣いをする、偽善と優柔不断ぶりに。
吐き気がするくらいに。
「っっっ!!」
思わずカップを取り落としそうになった。
熱いコーヒーが、手に掛かったのだ。
何という注意散漫。
――俺は結局、そのまま来てしまった。
コーヒーを飲む方が大事なのだろうか、俺は。
取り敢えず決めただけの、任のほうが。
彼女は、信用できない。
敵とわかっている人間を信用できはしない。
――――けれども。
憎むことも、できない。
いつの間にか手の中には、二つのカップがあった。
――何もしないでいるほど、嫌なことはない。
それも理由に、付け加えておこう。
彼女は、もう涙を流してはいなかった。
一瞬、あれは幻だったか、と思う。
しかし光を映す雫は、未だ印象をもって、俺の中に残っている。
「それで、わざわざ?」
「おせっかい焼きの大馬鹿野郎と言ってくれて構わんよ」
目を丸くした。
「……あなたにそんな俗的な語彙があるとは思わなかったわ」
驚愕の理由は、そこだけではないだろう。
しかし冗談でも本気でもそう言える発想が出るのは、良い傾向だ。
進攻が続いている。
揺れる床も、コーヒーを飲む邪魔にはならない。
カップが空になった。
片付けるからと受け取ろうとすると、逆に俺のカップが奪われた。
「ひとつ……聞いてもいいかしら?」
不信の色が揺れている。
隠そうとはしていない。
頷いた。
「もしも、大切な人に裏切り者と言われたら……」
息継ぎ。
瞳が無表情になる。
「その人のために、やらなければならないことで、裏切り者と呼ばれたとしたら……あなたはどうするの?」
遠い世界のあの時のこと。
教導隊であった事も捨て、パイロットを辞めた時のこと。
それにも関わらず教導隊に縁深い機体を持って、再びパイロットに戻ったこと。
そして一時、彼女の涙を見過ごしてしまったこと。
大小様々の数え切れない裏切りを重ねて、俺はここにいる。
「自分が信じたのなら、その道を貫くしかない……少なくとも、私はそうしてきた」
しかし俺の記憶の中に“裏切り者”と呼ばれた記憶はない。
もし、呼ばれていれば……俺はそうできただろうか?
それは考えても全く、わからないことだったが。
だから、この言葉は完全な偽善だ。
そう呼ばれた彼女に、今の俺はどのように映るのか。
「もっとも、それがうまく行けば、苦労はしないのだがな。後悔ばかり残ることもある。もう少し力があればと思う時もある……だが、実際には私は無力だ」
偽善が必要な時もある。
彼女が俺を偽善者と蔑み、矛を向けるとしても、それはそれでいい。
だが、実際にそうして偽善を貫くことはできない。
どうしても、本音が表れてしまう。
「そして、もう一つの方法……何もしないという選択は、絶対に選べないのね」
彼女の瞳の濁りが少しだけ澄明のなかに溶ける。
「全てを投げ出して逃げられるほど……強くは、ない。私も…………そして、あなたも」
偽善者を貫くことも。無関心を貫くことも。
出来はしないのだ。
偽りは、心を壊していく。
壊れていくことに、弱い心は耐えられはしない。
「その方法しかわからないから……そうするしかないのさ」
「……不器用ね、お互い」
警報。
「パイロット各員は出撃準備を!」
レフィーナ艦長の声が響いた。
「出番……か」
「まだ片付けてないのにね」
「その辺に置いておけ。後でいくらでも片付ける時間はある」
戦う時は、あとの事を考えるな、と言う人間もいる。
しかし、それを考えなければ――少なくとも俺は、やっていられない。
「それと……ごめんなさい。不謹慎だったわね、先程の問いは」
「それでも聞かずにはいられない時もあるだろう? 実は私も、似たようなことを聞きたかったのさ。だから話しかけた」
「……本当に聞きたいことは違うのでしょう?」
「さてね。だが、この戦いが終わって見える物、それを見てから考えても、遅くはないと思う。故に今は聞かない」
「そうね……それじゃあ、外で」
戦いの結末は、既に見えている。
予知能力ではなく、ただ、信じる瞳に。
例えその先は見えなくとも。
進むしかない。
ゲシュペンストを起動させると、R-GUNからコールが入った。
「言い忘れていたわ…………感謝するわ、少佐」
「……礼を言われるほどの事はしていない」
それに、俺は彼女を、まだ信用していないのだから。
「撃ち洩らしの追撃と援護を頼む」
信頼だけはしているけれども。
キョウスケ編だと「君を信じよう」がないので色々と妄想してみました。
ギリヴィレは駆け引きが面白いですね!