多重の幻影
「何しろ手加減などしたことがありませんから……うっかり、加減を間違えるかもしれませんが、宜しいですね、陛下?」
ゼウスのメンバーはネオ・アクシズの喉下まで迫ってきている。
このままではプロジェクト・オリュンポスに支障が出るのは明白だ。
部下には任せて置けぬ、と幹部であるシロッコが自ら出撃する旨を伝えた。
アポロンは仮面の奥でこの男を鋭く見ていた。
ゼウスのメンバーを決して殺すな、とアポロンは部下に命じている。
部下たちは、洗脳するか改造するかだろう、と各々自分なりの理由をつけてそれをしようと尽力していた。
しかし、アポロンがそれを命じた理由を知れば、誰もそれに従おうとはしないに違いない。
そう、それを知るシロッコは元々手加減するつもりなどないのだ。
それをアポロンは十分に理解していたが、黙って頷くと低い声で言った。
「良い報告を望んでいる」
手加減をして勝てる相手ではない、それも十二分にわかっているのだ。
アポロンは自室に下がった。
鏡の前で仮面を外す。
……ひどい顔だ。
弱い眼光。やつれていて、眼の下には大きな隈がある。
そして顔の筋肉はすっかり萎えて、表情を作ろうにも作れない。
仮面をもうひとつつけているかのようだ。
「こうなってしまっては全くの別人だな……そう、ギリアム・イェーガーは……死んだ」
鏡の中の彼に語りかける。
「それでもなお、幻影をまとうのか?」
答えは、当然だが返らない。
しかしその答えを、彼は知っている。
「……俺も出るとしよう」
アバオアクー市。
ゼウスの三人は隠されたルートを通ってやってくる。
シロッコはその出口で待ち構えてきた。
ルートに住み着いた怪獣など、今の彼らには問題にならないだろう。
果たして、ギリアムが追いついて陰に隠れると同時に、彼らは現れた。
「ここがアバオアクーか?」
聞き覚えのある声。ギリアムが幻影の中で、何度となく聞いていた声だ。
懐かしいと同時に悲しかった。
ある意味最も恐れていた、この瞬間。
「その通り、ここを嗅ぎつけるとはな……目障りな犬どもだ」
「シロッコ!」
「お前達ゼウスはイレギュラーなのだ。プロジェクトオリュンポスはイレギュラーを歓迎しない」
そう、その通りだ。
ゼウスとしてのギリアム・イェーガーなど、最早存在していないし、存在してはいけない。
彼はイレギュラーだ。ギリアムは元からアクシズの人間だったのだ。
あそこにいた事自体がそもそもの間違い。幻影としてなかったことにしてしまえばいい。
それはギリアムが一番よく知っている。
しかし長く幻影の中にいた彼には、それが真実として染み付いてしまい、
最早捨て去ることなどできはしない。
それを可能にする方法は、ただ一つ……
「……どうやらこれ以上の議論は無駄のようだな。では不本意ながら力で決着をつけねばなるまい」
シロッコが動いた。
「コール! ジ・O!!」
……始まった。
ギリアムは陰から戦いの行方を見守った。
3対1、とはいえジ・Oは強力だ。
この戦いがどうなるか……彼の予知能力はそれを教えてはくれなかった。
ジ・Oの拡散ビーム砲が炸裂する。ダメージは深刻だ。
「何を……」
思わず叫びそうになったのを抑えた。
何をしている。その程度で倒れていいはずがないだろう。
息を呑んで自分を見直した。
この服は……そう、ゼウスとして活動していたときも着ていたものだ。
腕についているもの、これはパーソナル転送システム……ゲシュペンストを、この場に呼び出すことができる。
ゼウスの三人は体勢を立て直して向かっていた。
今なら間に合う。今加勢すれば……
「……違う…………幻想だ。俺に必要なものは、真実……幻影など……」
わけがわからなくなっていた。
記憶が戻ってから何度となく襲われた感覚。
それ故に進めない。
……何故、こんなことになったのだろう?
記憶を取り戻さなければ……違う、失わなければ良かったのに。
過去の事を憂いても仕方がないことはわかっていた。
それでも、ギリアムは考えずにいられなかった。
何度となく逆転する形勢。
それをただ呆然と眺めるだけのギリアム。
……そして、爆発。
散ったのはジ・O。そして立っていたのはゼウスのメンバー。
「帰ってアポロン総統とやらに報告するんだな。貴様の野望は僕達ゼウスのメンバーが叩き潰すと」
ダンの声。
それを聞いて、急に意識がはっきりした。
ここで彼がするべき事が……明瞭に浮かんだ。
「その必要はないよ、ダン」
陰から呼びかけた。彼自身が驚くほどはっきりとした声だった。
「誰だ!?」
「俺だよ。忘れたのか?」
姿を現した。懐かしい顔だった。
しかし、ギリアムは冷静なままだった。
「ギ、ギリアム!?」
「て、てめぇこのやろ!! 生きて……生きてたのかよ! 何で今まで連絡をよこさなかった!!」
「そう……俺は生きている」
怒りと驚愕を見せながらも喜びの色を見せるかつての仲間を、ギリアムは冷たく見ていた。
「あの女の子のぬいぐるみを取りに出た時、壁が崩れ、俺は頭に衝撃を受けた。そして…思い出したのだ!」
そう、あれがそもそもの分岐点だった。
そして今成さなければならない。そのとき取り戻した、己の使命を。
「とにかくよかった! さあ、また俺達と一緒に行こうぜ!! アクシズの野望を打ち砕くために!!」
何も知らないというのは残酷だ。
できれば、そのまま……知らないままでいてほしかった。
「光太郎……それはできない」
「……どうしたんだ、ギリアム?」
そこでようやくゼウスのメンバーも違和感に気づいた。
ギリアムの眼は、見たことがないほどに、虚ろで、冷たかった。
「俺は……お前たちの敵だ!! コール・ゲシュペンスト!!」
久しぶりの感触だった。かつての、愛機。
やるべきことは、ただ一つ。
「ギリアム! 冗談はやめろ!!」
冗談、そう、冗談であればよかったのだ。何もかも。
「君たちに邪魔をされるわけにはいかないんだ……アウフ・ヴィダーゼン!!」
閃光。
歪んだ空間の向こうに、かつての仲間の叫びが吸い込まれていった。
「甘いな、シロッコ……ジ・Oが完全でなかったとはいえ、遅れをとるとは」
「……ご助力感謝します、陛下」
シロッコの顔は屈辱に歪んでいた。
「しかし陛下も甘い。奴らをどれだけ遠くに飛ばしたところで、エルピスにいる限り、奴らは必ず戻ってくるはず」
ギリアムは無言で睨みつけた。
それを一番よくわかっているのは、彼自身。
問題を先送りしただけにすぎない。
ギリアムは踵を返した。
「先に戻っている」
彼は待つ。最後の分岐点を。
“アポロン”にも“ギリアム”にもなれないままで。
「……どうやら、決着をつけねばならないようだな」
全ての、幻影に。
ヒロ戦の名場面、アポロンサイドの話です。
「お前達ゼウスはイレギュラー」にはギリアムも含まれるんじゃないか、とか
「お前達を始末できなかったことを恥じて自ら命を絶った」とかから、
色々考えていましたの。