■願いは歪み

黄昏時、ゼルダはハイラル城のバルコニーから、城下町と遙かな平原を望んでいた。
この国は平和だ。
魔王の脅威はなくなり、凶暴化していた生物たちも元のように狩り、狩られ、の営みを行なっている。
ゴロンやゾーラなどの周辺の民族とも軋轢がないとは言わないが、良好な関係を築いている。
街は言うまでもない。かつての傷跡は、少なくとも目に見える形では残っていない。
ゼルダ本人はといえば、これも忙しいとはいえ充実した日々を送っている。
国を導く者としては模範的であろう、と自負している。
趣味の魔法研究も欠かしていない。
それと、最近少数民族の使者に献上された本がなかなか興味深い。
まずその文字や文法を学ぶところから始めなければならなかったが、それはそれでいい経験になる。
――満たされている、はずだった。
ため息は琥珀の髪と共に風に流れていく。
満たされているはずなのに、どこか空虚なのだ。

――あの夢のせい。きっとそう。
そう遠くない未来、大きな変革が訪れる。
漠然としていたが、暗雲や白装束の人間のようなもの、そして青い光がかまいたちのように舞い荒れる、そんな夢。
あの日見た夢ほどではないが、不安を覚えずにはいられない。
予知ではなく、普通の夢だと思いたいのだけれど。

そして、それだけではないのも彼女自身が一番わかっていた。
公人としては妥協しない線を持っているのだが、私人としてのその境界がわからない。
どこまで我侭を通していいのだろう。
人を、国を導く者として模範的であろうと自分を縛り続けている。
例えばたまには料理でもしようか、と言い出せば手を煩わせる訳にはいかないと言われる。
インパかリンクが横から口を挟まなければそんな意見を通すことも出来ない。
それに限らず――――

「ゼルダ、あんまり風に当たっていると身体に悪いよ。ちょうど季節の変わり目だし」
振り返ると、ちょうど思い浮かべていたのと同じ、少し困惑の混ざったリンクの笑顔があった。
「わかりました。あなたも無理はなさらぬよう」
「ああ、わかっているよ。乗馬訓練やったら休む。それじゃあお休み」

――この想いをもっと強く伝えられたなら。
身分違い? そんなことはない。何と言ったってリンクはハイラルを救った“時の勇者”だ。
青二才だとか、出自が騎士の一族でも、などという理屈を捻じ伏せるだけの実績がある。
人によっては王族よりずっと憧憬の対象だ。
しかしどうしても恋愛ごとなどはしたない、と抑制をかけてしまう。
何より、自由を愛する彼を、これ以上縛ってしまうのは酷だ。そんな権利はない。
それでも思う。
もっと普通の女の子がやるように、遊んで、恋して。
不吉な夢でなく、そういう夢の方を見たい。
そんな気持ちを抑えながら、すれ違うリンクを一瞥しただけで通り過ぎていく。

――――堅っ苦しいよなぁ。ゼルダも、この城も。
馬も訓練などではなく、自由に乗り回したい。
それにもっと色々な所を旅したい。
ハイラル全土を駆け巡り、時を越えたりもしたが、もっと世界は広いんじゃないか、と思う。
実際、昔行ったタルミナは異世界であり、他にも城には別の世界の勇者や魔王だと言われている絵がある。
しかしゼルダの傍にもいたい。
堅いのは立場の問題で、本当は優しく、弱気ですらあるくらいだ。
前もそうだった。旅に出るリンクに時のオカリナを渡し、少し寂しそうに笑っていた。
長い旅の末ハイラルに戻ってきて、城勤めをすると言った時は、逆に嬉しそうに。
しかし森育ちで根からの風来坊のリンクには、少し城は息苦しい。
勇者としての自覚と誇りはあるが、それを過剰に讃えられるのは嫌いだ。
そして国を守り治める際伴う、所謂“大人の世界”もわかるようになった。
剣を振るい、人を守り、優しくするだけでは駄目なこと。
立場のあるものは、あまり自由に生きられないこと。

――そういうこと気にしないでいられたらいいのになぁ。ガキの頃はそうだったっていうのに。

彼もまた、バルコニーに出る。敏感な耳が風の中に嵐の気配を感じ取った。
今日はあまり遅くまで外にいない方が良さそうだ。

 

目が覚めた時、外は暗雲と雨に抱かれ暗かった。
飛び起きた目線が妙に低い。
「……あれ?」
口から溢れた声はとても幼く。
走った感覚も、振った手も、世界が何もかも変わったようで。
響いた雷の声と共に記憶が光る。

あの日も、こんな嵐だった。

「ゼルダァァァーーーー!!」
たまらず叫んで駆け出す。
城の中では誰にも遭わなかった。
生命を失くした者もいないのは救いとも言えたが、それを気にしていられる状態ではなかった。

息を切らせながらゼルダの寝室に駆け込む。
闇に浮かんだのは、血の瞳。そして涙。
それはシーカー族の紋章だと言われている。
そして恐る恐る視線を上にずらしていくと、やはり血のような紅の瞳が輝いていた。

「シー……ク…………!?」

信じられなかった。
あの旅の手助けをしてくれたシーカー族の青年。
しかしそれはガノンドロフの目を欺くための偽装であり、ゼルダとしての意識が目覚めると同時に吸収され消えてしまったはずだ。
「……そう、僕だよ。久しぶり、と言いたいけど君もどうもおかしなことになっているようだね」
手にした剣は伝説の退魔剣でも城で一般的に使われるものでもなく、あの森に伝わる、妖精たちのための剣。
身体もその時の大きさまで縮んでしまっている。
「どうして……どうしてこんな事になっちまったんだよ!」
「落ち着いて。冷静にならなければ負けてしまうのは今までの冒険でわかっているはずだよ」
頭をぽむぽむと叩き子供になってしまったリンクをなだめる。
しかし彼はまだ混乱していた。
原因は、ゼルダは、とシークを問い詰める。
「原因は僕にもわからない。ゼルダのことなら心配ない。あの時と同じ……僕がゼルダさ」
呪文を唱え軽く手をしならせた。
光の粉が溢れでて、たちまち広がりシークの全身を包み込む。
その輝きが消えた時、シーカー族の青年がいた場所にはハイラルの王女が佇んでいた。
「…………突然のことでした。私の中の“彼”が目覚め、気付けばこの呪文が私の中に入り込んでいた……あなたは元に戻る方法を知らないのですか?」
「わっかんないよ! 何が起きたのかさっぱりだ! 城の皆も……」
「姫様!」
近衛兵たちがなだれこんできた。
「む、ご無事でしたか。これは失礼を致しました。して、リンク殿のその姿は……」
「大いなる変革……その一端でありましょう。城の他の者は無事ですか?」
「はっ。現在確認中ですが問題はないものと思われます」
「正確な状況の確認を急ぎなさい。そして今すぐ各地に使者を。この力……及ぶのはハイラルのみではないはず」
「かしこまりました。皆の者、頼むぞ」
リンクが唖然としている間に事は進んでいく。
彼自身が幼くなってしまったせいか、ゼルダの横顔はやけに凛々しく見えた。

各地から届いた報告は以下のようなものであった。
季節外れの花が咲いた。
見慣れない動物が闊歩している。
死んだはずの者が姿を見せている。幽霊か幻影か、或いは実体かは区別がつかない。
見たことのない道が何処とも知れぬ場所へと続いている。
そういった報告を受けながら、ゼルダは思わずため息をついた。
統治者としてだけでも頭が痛いというのに、彼女自身も問題を抱えてしまっている。
その手の知恵のトライフォースが輝きを保っているのは、彼女にとっては幾らかの救いだった。
だが、トライフォースは善悪を問わない、ということもよく理解している。
彼女が修得した呪文は、インパがあの時かけたものとはまた違うと彼女から聞いた。
そしてどの本にも載っていない。
禁呪法の類ではないというのはどうにかわかったが、抵抗を感じていた。
そしてそれに匹敵するほどの魅力も。
記憶は完全に引き継ぐとはいえ、女が男になりその思考も変わる。
それが歪みでなくて何だと言うのか。
この力を手に入れた状況からしても、なるべくなら使いたくはない。
しかしシークに転じたときの解放感は、今までの彼女では到底手に入れることが出来なかったもの。
“ゼルダ”のままでは手を伸ばせないものでも、“シーク”なら軽やかに届かせることが出来る。
特に、強く欲した、自由というものに。
その役割分担は、この状況下で彼女の心理的負担を軽くしてくれた。
おかげで各地からの応援要請や苦情の山に耐えられたというものだ。

「あなたはどう思いますか?」
何が原因か、また不意に大人の姿に戻ったリンクに問いかける。
ただしいつまた子供に転じるかわからないので、玉座の後ろに隠れているのだが。
客人が面会を望んだときは、インパが言葉巧みに断りを入れている。
「こういう時はしっかり観察するのが大切なんだけど……嫌な風が吹いている、それだけ。あとは俺の左手のトライフォースが気持ち悪いくらい光って、熱くなっている。結論はロクなことにならない、ってことかな」
「あなたも感じますか。私の知恵のトライフォースもです。これが意味することはただ1つ」
2人同時に、1つの名を思い浮かべる。

果たして、その男は現れた。

「ぜ、ぜぜぜゼルダ様!! 魔王が! ガノンがこのハイラル城に!」
「……彼は何か言っておりましたか?」
冷静を心がけながらも、表情に焦りが浮かんでいる。
「『攻撃の意思はない。ただ、王女と時の勇者との謁見を望む』……以上です」
「信じられるか!」
それを聞いたリンクは思わず柄に手をかけた。
「確かに信じ難いことです……しかし使者としての礼は通している以上、謁見を行わない訳にはいかないでしょう。兵たちは皆城外へ避難……いえ、城下町の警備をお願いします」
魔王が本気を出せば、如何に訓練された兵士であろうと、魂を奪われその操り人形となってしまう。
ただ、城が落ちたとしても、街には本人は出向かず手勢の闇の魔物を向かわせるはず。それくらいなら奮闘次第という具合だ。
瞬時にそう判断し、兵たちの誇りをなるべく傷つけないよう命令を下した。
やがてその闇の気配を纏った褐色の大男は現れた。
元ゲルドの族長、国をも盗んだ闇の魔盗賊ガノンドロフ――またの名を魔王ガノン。
「久方ぶりですな、姫様、そして勇者様。お変わりない様子で何より……と言いたい所ですが、どうも何か問題を抱えておられる様子……ククッ」
「そうですね。何故あなたが復活することが出来たのか、という問題も含めて」
「お前は何かを知っているのか!」
剣を構えて飛び出してきたリンクは、その身を子供へと転じていた。
しかしそんな体格差に怯んでしまうような“勇気”を彼は持ち合わせていない。
軽く弾かれてしまってもなお、強く睨んでいる。

3つのトライフォースは更に強く輝いていた。

「貴方の目的はやはりこれですか?」
「最終的にはそうなるが、今回はそうではない」
「ならこの国か!?」
「フッ……こんな小さな国に、最早興味はない」
「何だと!?」
2人の敵意を軽く受け流して笑う。
「勇者の小童にハイラルの王女……貴様らともあろうものが気付かぬのか? 今この世界に吹いている風を」
「風……」
「遥か広がる無限の彼方より来たる風よ! これは全てを運んでくる。緑も、水も、歓喜も、悲嘆も! 我が欲するはその全て。現世に戻った理由など些細なことよ」
高笑いが謁見室の高い天井に響き渡る。
「つまり貴方にもわからない、と……しかしそれを聞いてそうですか、と見逃すとお思いですか?」
「そう殺気立つな。蘇ったばかりでな……生まれ変わった世界をまだ堪能していない。俺はもっと多くの世界を見たいのだ。折角広がりを見せたことだしな」
「!!!」
リンクが思わず自分の愚痴を思い返す。
広い世界。更に遠く、遠く。
「それを信用しろっていうのかよ……?」
「フッ、殺気が弱まったな? その通りだ。それに力以外でも何かを手に入れることは出来ると気付いた……今の俺はそれほど力や何かを得ることに執着していない。無論、警戒するならばすればいい」
「……監視はつけさせていただきます。そして何かあれば、真っ先に討たせていただきます」
「良い心がけだ。そして今度こそ良い関係を築けるよう祈るとしよう」
高笑いと巨体が闇に溶けていく。
2人は目を合わせ、何も言えずにいた。

ある日、リンクの元に書簡が届いた。
大乱闘スマッシュブラザーズ出場の依頼書。
最近国交が結ばれたキノコ王国からも噂が届いていた。
優秀な戦士を集め、人々が狂喜する盛大な祭りを行うのだと。
「行くつもりなのですか、リンク」
「ああ。色々な奴が集まっているって言うんならそれは凄い楽しみだし、それにこれ、世界の異変と無関係とは思えないんだ」
「決心は固いようですね。しかし貴方の身体は……」
「魔法である程度抑えて、寝起きのタイミングでアレが起きるか起きないか、くらいにはしてくれるってさ」
「……余程の力を持っているのですね、彼らは」
「うん。だから怪しいんだけどさ。それでは……行って参ります、姫様」
恭しく表敬のポーズ。
そしてヘヘッ、と苦笑いした。未だに騎士の礼儀作法というのには慣れていない。
「お行きなさい。時の勇者にトライフォースの導きがあらんことを」
そして小声で付け加えた。
「……気をつけて、下さいね」
俯いていたが、リンクが力強く頷いたのは確認できた。

屋根の上から遠くなっていく影を見やり、ターバンの端を風の中で遊ばせる。
「相変わらず見送ることしか出来ないんだね、僕は……」
そこにインパが音もなく登ってきた。
「ガノンドロフは今の所それといった動きは見せておりません……強いて言うなら観光旅行、でしょうか」
やれやれ、と首を横に振る。
「彼も満喫したいのかな、久しぶりの自由を」
シークの紅い瞳が夕日に照らされ別の色を映した。
インパもまた彼と同様にため息をついた。
その複雑な心中を察して。
「これでいいのかはわかりませんが、姫様がお好きに出来るのなら私には喜ばしいことです。今になって言うのも何ですが、この事件がなくともいずれ何らかの形で御身に害を成すのではと思っておりました。そういえば、招待状の文面にありましたね……『願いを叶える』と」
「僕は招待されていないよ。けれどそれは引っかかっていた。リンクは子供の頃に戻りたいと思っていた。僕は自由と解放を。魔王の復活を望んだものもいるだろうね……他にも心当たりがある」
トライフォースにも揃えたものの願いを叶えるという伝説がある。
「けれど望みなんて個人がもつものでも千差万別……何でもかんでも叶えていったら滅茶苦茶になってしまうよ。子供のおもちゃ箱みたいに……今のこの世界のように」
竪琴を取り出して歌いだす。
メロディーは風に流れて消えていった。
そしてその身を元の姿に転じさせる。
「私たちやこの世界を玩具にしている者に、私も会ってみたいのです。白い服の者に青い光……乱闘は参加者を募集していましたよね? 手筈を整えて下さい」

乱闘という場においても、時の勇者の名声は響いていく。
そしてトライフォースの所持者が集うことにもなるのだが、それはまだ先の話。

「あーあ、面倒くせぇ……」
それは沼の中からその身を起こした。
身に付着した泥濘はそのまま闇に吸いこまれていく。
「まーた生きなきゃなんねぇワケ? どうだっていいだろンなもん……」
水を滴らせながら闇は徐々に人の形をとっていく。
「待てよ? 俺が蘇ったってことはあのお方も……」
闇の中、漆黒の肌に深紅の瞳の煌きは一際照り映えていたが、それを見たものは誰もいない。
「アッハハハハハハハハハ!!!! おっもしれぇじゃねぇか!! 最初にてめェを血祭りに上げてやるさ、時の勇者! ハハハハハハハハハッ!!」
響いた高笑いを聞いた者も、またそこにはない。

 

ゼルダ組しか出ないのはどうなんだろう、という設定話。
何か長編の始まりっぽいオーラ出ていますがこのサイトは基本的に短編集です。基本設定がこうなっているってだけで。
ゼルダ組の設定は焔担当なのですが(私も好きですが思い入れが段違いなので)結局好き放題やったのでここで謝っておきます。
ダーク君初めて書きました。私的にはこういう感じなのですが焔は違うかも。悪役オーラ出しまくりつつ諸国漫遊なガノ様も私的には(ry
それにしてもリンゼル昔から大好きなのにはじめて書いたなぁ。それメインの話じゃないんでリベンジしたい所ですが。

テキストのコピーはできません。