異伝:天を仰ぎて星を待つ

商人の持ち込んだ切り花を前にして、変わったな、と自嘲した。
彼――ローレンツ=ヘルマン=グロスタールの象徴は、言うまでもなく赤い薔薇である。
その情熱に相応しく、大輪の、深紅に燃え上がる薔薇を選び、常に身に付け部屋を飾り立てることは、責務の1つと言っても過言ではない。
当然今日も瑞々しいものを見立てた。しかし薔薇を選び終わっても、彼は熱心に花を見据えていた。
「……切り花を全部と、あとこの茶葉を貰おうか。いいものをありがとう」
長い目利きに対し商人が訝しげにしているのを勘付いて、色を付けて取引を行うと、相手は驚きつつも小躍りし何度も礼をした。
これで次の仕入れも捗るだろうし、家族に土産でも買うだろうと“貴族と平民の良き関係”に頷く。

「彼女の好きな花は鈴蘭……しかしそれだけだと彩りが……」
そして寮の自室に籠もって種類ごとに分けた花瓶を前に首を捻る。
――女性というものはその存在そのものが花に喩えられるように、美しい花が似合うものである。
多情な彼は最早義務と呼べるほど幾度となく様々な女性に花を贈ってきたが、ここまで悩んだことはない。
「いや、しかし儚げながら内々より輝く彼女にそれ以外の上辺の飾りなど……」
独り思い悩み、詩集用の手帳に感情をぶつける。
そう、これまではグロスタール家の嫡男としての義務だったのだが、今の彼は完全に恋慕に焦がれている。
相手の名はマリアンヌ=フォン=エドマンド。元金鹿の学級ヒルシュクラッセの同級生、現在は“炎の紋章”の戦旗の元に集った戦友の1人である。
彼女の父であるエドマンド辺境伯といえば同盟の中でも一目置かれる論客であり、政治的力学からの打算もないわけではない。
しかしながら、彼は恋愛においては悲しいほどに理想主義者であった。一言で言えば家の事情も相思相愛も両立させたいのである。
「ようやく贈り物を受け取ってくれるようになったのだ。あの細やかな微笑み……触れれば壊してしまいそうな……主よ我が愛を赦し給え!」
そしてまた詩の断片を書き殴り、ただ想いを交わさんと願う。
「落ち着くんだ、ローレンツ=ヘルマン=グロスタール! 茶会は貴族の日常! 彼女とも何度か行ったではないか! さり気なく誘ってさり気なく渡せばいい!」
その積み重ねが未来に続くことを願って。

「あ、あの、お招き、ありがとうございます……」
2人に課せられた厩舎の管理を終え、慰労という流れで誘うことが出来、心中で恩師に多大な感謝をした。
それがなくとも彼女の愛馬であるドルテの話をする笑顔を思えば、前線でリザイアを唱えつつ大量の敵を釣り出すという戦果を以て報いることなど容易――いや、それは少し改善してほしい。そんな事実はないはずだが、何度か落命する夢を見た。
「今日は、随分とお花が多いんですね」
「流石マリアンヌさんだ。この違いに気付くとは。いや、出入りの商人がいいものを持ってきてくれたのでつい、ね。良ければ君の部屋にも是非」
今日は、という響きの特別さについ喜びを出してしまう。諦めなかった甲斐があったというものだ。
「え、その、私は……その…………折角の、お花が……」
俯いてしまう――現在乱雑になっている部屋を片付ける間に枯れてしまうかも、などと言えるはずもなく。
「す、すみません……嫌な訳ではなくて…………」
だいぶ自信がついた彼女であるが、非がある場面ではやはり後ろ向きに、小声になってしまう。
だが彼はそんな部分も愛おしく思っている。すげなく断られる訳でなく、誠意を持って謝られたことにすら喜びを覚えるほどに。
「大丈夫さ。僕はそんなに器の小さい男じゃない。君の分までこの花を大事にするさ」
「……はい、そうして下さると救われます。その……断っておいて、勝手なこと、とは思うのですが……私からは、こちらを……」
おずおずと古紙を差し出した。詩と音階の書かれた――楽譜。
「ふむ、この音階には覚えが……聖セスリーンの日に捧げる……いや、詩が違うな。これは?」
「地方教会の更に僻地……その地では、中央で言えば花冠の節くらいの気候で、古い歌では詠み替えていて……今は、統一されているらしいですが……義父が、交易で手に入れて、寄付するようにと……」
その他送られてきた荷物があり、今のマリアンヌの部屋が人目を憚るまでに至った原因になっていることまでは、慧眼で知られる彼女の義父も見抜けなかったであろう。
「素晴らしい、歴史的価値のある逸品だ。僕に一見させてくれた心遣いに感謝の念が絶えないよ。先生に直接渡しても良かっただろうに。ああ、勿論僕だけのものにはしないとも」
「ふふ、いつも、聖歌隊の活動、頑張っていらっしゃいますし……きっと、お好きかと思って……良かった、です」
その笑みはローレンツからすれば絵画で見た女神の降誕より美しく――――彼女は女神は恥じらわない、と以前言ったが――――主も御心があるのであれば、恥を含めた様々な感情も持っているのではないか、などと不敬ながら思ってしまう。
「ありがたいことだ。しかし以前から思っていたが、君は聖歌隊には入らないのかい。声を出すことが苦手なのは知っているが、必要なのは祈りだよ」
「はい、ヒルダさんからも言われました……歌うことが好きなだけのあたしより余程向いてるよー、って」
対照的な親友のことを持ち出してくすりと笑う。
「少し似ているな。君はそんな声も出せたのか。新しい発見だ」
「そ、そう、ですか……?」
はにかむ彼女は慌ててハンカチで口元を隠す。
「……練習をしながらずっと見ていたよ。祈りを捧げる君の姿を。何と清らかなのだろうと」
「私は……私の、祈りは、懺悔でした……でも今は……」
紋章のことは未だに公言出来るものではない。だが前向きに捉えられるようにはなった。
そして彼女も見ていた。喉の調子が優れないと言いつつ、フォドラの地に根付く女神への祈りを高らかに歌う彼の姿を。
「……ひとつだけ、条件が」
「僕でよければ何なりと。マリアンヌさんが聖歌隊に入ってくれると言うならセイロス聖教会の、ひいてはフォドラの未来のためというものだ!」
彼は笑う。彼女から頼みごとをしてくれるなどと、条件を出される前から答えは決まっている。
彼女も笑う。やはり彼はとても大げさでかなり変わった人で、だからこそ自分を変えてくれる、そして何よりも優しい人なのだと。
「お願いが、あります。この楽譜を教会に寄贈する前に……聞かせてくれませんか。ローレンツさんの歌声で」
「ま、待ってくれ!」
彼らしくもなく焦った――確かに彼は聖歌隊に所属している。
信心も人並みにはあると自負している。貴族として、というよりフォドラの地で主の恵みを享受するものとして当然と捉えている――――故に信心の欠片もない盟主殿には少々改めてもらいたい、というのは完全に余談だが。
しかし、馴染んだ歌をいつもと違う詩で、というのは初見の楽譜よりも敷居が高い。
「嫌、ではない。断るつもりもない……だが準備が必要だ。詩を良く読ませてくれ」
失われた聖歌を主に、聖セスリーンに、そしてマリアンヌに捧げるという幾重もの責に思わず小声になる。

――――背筋を伸ばせ、胸を張れ。ローレンツ=ヘルマン=グロスタールに失敗はない。
空で諳んじることが出来る正式なものは、主のおわす星の輝きを受けて聖セスリーンが奇跡の舞を踊る姿を描いている。
この異伝では――――雨の中、女神の再誕を祈り大地を強く踏みしめる姿。教派の争いというのは案外このような所から生じるのかもしれないと歴史に思いを馳せる。
だがその美しさと慈悲を讃える心に違いはないはずだ――――

「……よし、聞いてくれたまえ」
音階は同じだ。だが詩が違う以上解釈は全く異なる。
聖女の凛とした姿を。そして祈りが通じ蒼天が現れた晴れやかさを。
「御使いの歌よ、青海の輝きよ、我ら永久に歌い継がん……」
歌い終えて長く息をつく。力が籠もりすぎたかもしれない、とマリアンヌを見やると彼女は瞳を潤ませていた。
「あり、がとうございます……良かった……あなたにお願いして……」
「は、はははは! そうだろう! 何と言っても! この僕が歌ったのだからね!」
感動を受けて高笑いする。これほどまでに彼女の心を動かせたのだと。
「……ごめん、なさい」
しかしマリアンヌの涙は別の意味合いがあったようだった。慌てて予備のハンカチを差し出し、新しく紅茶を淹れ直した。
「教会への、寄贈というのは嘘なんです……焚書に合う寸前だったものを、買い取ったと……それを送って、私に、何かを学んでほしかったようです……」
「ふむ……確かに一般的な聖セスリーン像からは少し外れているが、かの聖女は数多くの失敗談も残されている民に愛された人だ。強い姿もまた良いと思うが教会は何を……」
言いかけてはた、と思い当たる。
「女神より四聖人を重んじる異端の教派……そちらの聖歌か?」
理学の講義でその存在が触れられていた、と思い返す。
レスター諸侯同盟の成立より前の800年代、戦乱が続き教会の威信も弱まり、女神の威光も通じなくなっていた。
しかし人々を直接導いた御使いたちへの敬意はその時代にあっても忘れられなかったのだ、と。
「やはり、そう思いますよね……どうしようか、迷ってしまって…………」
「……いや、だが僕はこの歌を素晴らしいものだと思う。この歌は女神の再誕を待ち侘びる歌なんだ。たとえ今はその光が注がずとも、長い雨を耐えて祈りを捧げる……そして訪れた平和を永遠のものにすると誓う、そういった歌に思える」
「では、その人たちも、同じように女神様を信じて……」
そう口にした瞬間、花の甘い香りと紅茶の透くような辛い香りが通り抜けた。
「…………戴きますね」
口元が緩んだ。この歌は“獣の紋章”と呼ばれる“モーリスの紋章”と同じなのだ。そしてマリアンヌにはこの歌の聖セスリーンのように強く在って欲しいという義父の願いを感じ取った。
「約束どおり、聖歌隊に入ります。ヒルダさんも喜びますし。それと……先生にこの楽譜のことを話してみます。先生ならきっとわかって下さるはずだから」
「ははっ、違いない。レア様直接の指名とはいえ、あの人が大司教代理というのも未だに何かの冗談にしか思えないが……これもまた残すべき歴史だ。フォドラのためにね」
茶菓子は前に彼女が好きだと言ったもの。茶葉は心身を痺れ立たせるシナモンの香り。
「……あと、やっぱり鈴蘭の花束、戴いてもいいですか? その……頑張って、みようと、思って」
「何を言う、君は頑張りすぎだよ。勿論貰ってくれるのはありがたいが、これ以上無理はやめたまえ」
――――整理整頓を、とはやはり言えなかった。

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「お兄様、あの聖歌を正式採用すべきですわ! 聖セスリーンの凛々しさが! 格好良さが! 斬新ですもの!」
「却下だ」
親子ということは明かしたがこの事実は話していないはずだが、といきなり合唱練習に呼び出した大司教代理を見遣った。
「それでそれでー? マリアンヌちゃんが聖歌隊入ってくれたのって私のため? それともローレンツくんのためかなー?」
「ヒルダさん、練習に身を入れたまえ」
「その、声の出し方を……練習するので……集中、させて、ください」

 

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お題箱『風花雪月で何か』ということで、クロード君目当てでヒルシュクラッセに行き、見事なまでにローレンツ=ヘルマン=グロスタール君とロレマリにすっ転んだ私の初風花&ロレマリ小説です。
攻略本とにらめっこしましたが、まだ一周しかしてないし色々間違っていても責任は取らないぞ、と言い訳はしておきます。
ローレンツくん聖歌隊青矢印なのに信仰普通なんだよなー、とかエドマンド辺境伯も獣の紋章知らないはずないし、とか女神再誕の儀の2週間前にある聖セスリーンの日は結構特別な立ち位置にあるのでは、あたりのキャラとか世界観への妄想を爆発させました。
ふーか書くの難しいけど多分また書きます。特にペアエンドガチャにそっぽ向かれたやつ!(だいたいそうじゃないかとシステムに恨み事を言いたく2周目止まっている私です……)

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