■rebirthday

2208年。季節は巡り、もうすぐ4月が来ようとしている。
クランクは街のショーウィンドウを見ながら、どんなプレゼントにしようかな、と考えていた。
高機動小隊の皆がプレゼントを用意し、彼が手作りケーキを焼いてくる――――

――――彼?
思い直す。そんな考えに、意味はない。
昨日のことのように思い出せるあの日々。
本当に幸せで、忘れかけてた夢を思い出させてくれた。
その夢は掴むことが出来た。
そして今も忘れられない。
ヒーローは不死身だという、本当に子供じみたもう1つの夢を。
実の父親も。彼だって、一度は。

――そんな訳ないのに。

もう、一緒に過ごしていた時間より、彼がいなくなってからの時間の方が、ずっと長いのだ。
背は伸びたし、声変わりもした。
それでもリュウよりは低いし、それより大きかった彼には当然届かないが。
「らっしくねぇよなぁ……」
色々あったが、もう割り切っていたはずだ。
大人は子供より先に逝く。当然のことだ。
まして戦う者ならば。
そして彼は強かったから、それを誇りに笑っている。
実際去年まではそうでもなかったのに、今妙に感傷的なのは自分が夢を叶えF-ZEROパイロットとして正式デビューしたせいだろうか。
おまけに乗っているのはドラゴンバード。そして、ブルーファルコンと競い合っている――――
結局、誕生日を一緒に祝えたのは一度きりだった。正確に言えば、自分と彼の分で2回だが。
自分はリュウと共に皆から毎年祝ってもらえるが、やはり彼の特製ケーキを食べられたのはその時だけ。
彼の誕生日に渡したプレゼントは皿洗い券だった。それくらいで良かったはずだ。
とても喜んでいたし、次の誕生日も一緒にこうして祝えるのだと、当然のように思っていたから。
ただ、もっと別な物を渡しておけば良かったかもしれない。
誕生日だということも知らず、後で散々遠まわし、または直接的に嫌味を言われたリュウよりは、まだいいだろうと思うが。

「……やめだやめだ! ホンットらしくねぇ!」
今日は少し、風が強い気がした。

********

高機動小隊本部では特に大きな事件もなく、各人がそれぞれの仕事をこなしていた。
「平和なのはいいけどよー、もっとビックリドッキリなこと、起きてもいいと思わね?」
「悪い意味じゃなければいいんですけどね。女の子の連絡先全部消えちゃうとか」
「ゲ、まさか!?」
「冗談ですってば」
いつもの調子で軽くやりとりをしていた所に、通信が入ってきた。
映ったのは、血相を変えたリュウ。
「大変だ!!!」
「どうしたよ、非常勤の旦那さん」
「からかってる場合じゃねぇ! とりあえず、救護をよこしてくれ!! 普通の病院にゃ回せねぇ!」
「ファルコンハウスで刃傷沙汰でも起きたのかよ」
「「起きてたまるか!!」」
リュウとクランクが同時に叫んだ。
そしてリュウが話したのは、まさしく『ビックリドッキリなこと』だったのだ。

「どうだったの、ドクター?」
「問題ない。ただ単に凄く消耗しているだけだ……数日安静にしていれば目覚めるだろう」
見遣ったのは眠り続ける男性。
「……しかし、よくよく我々も奇跡というものに縁があるな」
「まったく、ね……」
茶色の癖のある髪。その下に見え隠れする大きな傷痕。

********

「ええ……扉が開いたと思ったら、彼が倒れこんで来たんです」
ハルカがうなだれながら経緯を説明した。
あまり客の来ない時間帯で、事件がないためリュウも店にいた。
他愛のない会話。どこにでもあるような幸せ。
しかしその時、傷だらけの彼がふらりと現れ、そして倒れた。
前のファルコンハウスの主であるバート・レミング。
本名アンディ・サマー。ジョディの実兄。
しかし彼はブラック・シャドーとの最終決戦で、その姿を閃光の中に消した。
もう一つの名前――正義の使者“キャプテン・ファルコン”の名をリュウに託して。
それを見届けたのはリュウだけだし、ブラックシャドーと違い完全に消滅を確認した訳ではない。
そして爆心地にいたゾーダが生きていたのだから、と希望を持たない訳ではなかった。
ただ、音沙汰がないということは、そういうことなのだろう、と。
前は彼の決意と使命を受け入れ黙っていたスチュワートだが、問われて皮肉混じりに笑っていた。
「知っていたら、今度こそ誰よりも先に殴り連れ返すよ」
しかし、彼は戻ってきた。ミュートシティに。
何があったのかは彼自身に聞くしかないだろうが、何はともあれ。
「ふふ、良かったわね、リュウ」
「ハルカ……」
「私が今あなたといられるのも彼のおかげ。それに話はしたことないけれど、あなたたちを見ていれば本当にいい人だったってわかるから」
「ああ、勿論さ!」

人と人の関わりは、全てが変化の兆しだと言っていたのは彼だっただろうか。
そしてまさしく人生を大きく変えた、そのうちの1人。

――――確かにいいことばかりじゃなかったけれど、そういうものだし、そっちの方がずっと多かった。

「ハルカにも優しいだろうから安心していいぜ? 何か腹黒いし俺にだけ妙に陰険だったけど。クランクも良かったよな!」
「へへっ、凄く照れくさいけどな」
「私も礼を言わなきゃな、あいつには」

笑いあって、彼が目覚める日を待った。

********

そして4月になり、ようやく彼が起きた、という報が入った。
「私たちも早く話したいけど、いきなり大勢で押しかけてもビックリしちゃうからね。流石のバートさんでも」
初の面会は、リュウとクランクとジョディとロイ。
彼に割り振られた病室の扉を開けると、ベッドの上で半身を起こした彼がいた。
しかし入ろうとする彼らを、スチュワートが押しとどめた。
「……面会は延期だ」
「何でだよ! もう大丈夫なんだろ!! 早く会わせろ!」
「!! やめるんだ、クランク!」
その喧騒を他人ごとのように眺めていた彼は、パチパチとまばたきをして、目の前の青年に問いかけた。
「君は……?」
「ははっ、やっぱわかんねぇか。クランクだよ。でっかくなっちまったけどさ。久々だな、おっちゃん」
言いたいことは色々あったが、気取って冷静なふりをして、それでも抑えきれず笑った。
そんな時でも気持ちを汲んでくれるのが彼だ。
「クランク……? ああ、ロイの息子か」

――――え!?
そうだけど、もっと別に言うことがあるんじゃないのか!?

「大きくなったね」
柔らかく笑う声と顔は確かに想像し待ち望んでいたものだったが、何かが違う。
そして決定的な一言。
「前に会った時は、ほんの赤ん坊だったのに」
「…………冗談、キツいよ、おっちゃん……確かに人をからかうの好きだったけどさ、それ、ちょっとタチ悪すぎだよ……」
衝撃が大きすぎて、いつもの元気もなく呟くように吐き棄てた。
後から入ってきたリュウたちも、目を丸くしていた。
「ん? そっちにいるのはロイか。やはり老けているな。私やスチュワートもだが……」
状況が飲み込めない、という様子の少し困惑した、しかし穏やかな笑顔。
「それにジョディも……」
一呼吸置いて、頷いた。
「前よりアダルティな魅力が出たね」
「兄さん……?」
信じられなかった。
ここにいるのは紛れもなく彼だ。間違えようはずもない。
しかし彼に言葉をかけるのを躊躇わせる。
スチュワートが額を指先で抑えていた。
――だから止めたというのに。

耐え切れなくなったクランクが、病室から飛び出していった。
「クランク!!」
それを追ってリュウも飛び出す。
「…………君は“アンディ・サマー”なのか?」
「? 何を言っている、スチュワート。当たり前のことじゃないか」
ようやく発した問いに無邪気に答える彼に、またも言葉を失うしかなかった。

********


「何なんだよ何なんだよ何なんだよ!!」
呼吸と心拍数の乱れが止まらない。
壁に拳を叩きつけた。
「クランク、どうしたの!?」
外で待機していたルーシーとジャック、そして追いかけてきたリュウが駆け寄る。
「忘れちまったんだよ! オレのこと……一緒に暮らしていた時のこと!!」
「記憶喪失って奴か!?」
「……いや、ジョディたちのことは、わかってた。何かズレてたけど」
激昂するクランクとしおれるリュウ。
2人、いや、全員に共通するのは、やるせないという感情。
「で、お前はどうだったんだよ、リュウ」
「知らねぇよ! ……そうさ、聞きたくなくて逃げたんだ!! 飛び出したのはクランクが心配だったからだけじゃなかった!」
怒りを露にした後、またうなだれる。
「…………汚いよな、俺……」
「いえ、そうして当然だと思うんです……わかっていたって……」
「だからってやっていいわけじゃない!」
「はいはい、八つ当たりはここまでな。だいたいお前そこまで考えてなかっただろ。後付けでどうしようもない理由つけてどうすんだ」
ジャックの言葉にも憮然とした表情を変えない。
「とにかく……そのうち詳しいことがわかるだろうさ」
苦々しげに吐いた。
彼のことで何度そうしたか、ジャックは馬鹿らしくて数えていない。
ただわかるのは、間違いなくその中でも特別に腹が立った瞬間だということだ。

********

「彼に起きている症状は一種の逆行性健忘、いわゆる記憶喪失だな。ただし部分的なもの……正確な期間はあやふやだが、10年くらいのようだな」
「それに何か意味、あるのか?」
ミーティングルームでの解説に、EADが問う。
しかしジョディが神妙に呟いた。
「……“キャプテン・ファルコン”としての記憶……」
「確証はないが、そうなのだろうな。ロイが“死んだ”事件も、ジョディを庇ったことも、あの戦いのことも忘れていた」
「すると、アレか……」
「……バートという名、そして喫茶店のことも心当たりがないようだったよ。その間事故で眠っていたと思っているようだ」
「そんなこと、あっていいのか!?」
「…………今、現実に起きている。そして原因だが、あのリアクターマイトの閃光のようだ。検査の結果、彼の肉体は当時のものだった。どうもあれで時空を越えたようだな」
音沙汰がないのも当然、というわけだ。
「しかし彼はこのミュートシティの、ファルコンハウスの扉を自ら開けた……それも確かだ」
そこに至るまでの経緯は彼自身にもわからないことだが。
無意識の中に眠っている、彼の歩んできた時間が、彼をそうさせた。

********

「私をミス・キラーから完全にハルカに戻したのはリアクターマイトの共振だった……そしてその逆も……使えるんじゃないかしら?」
夜、ファルコンハウスにて。コーヒーを飲みながら、数人で話をする。
「うん、それは考えたよ。けど現存する奴も殆どエネルギーを吐き出しちまっているし、やり方もわからない」
6つあったうち、現在はドラゴンバードの中にあった2つのリアクターマイトだけがその所在を確認できている。
1つはそのまま、1つは新造したブルーファルコンの中だ。
しかしあの決戦で通常のエネルギー源とそう変わらないようになってしまい、他のものが形を残していたとしてもそうだろうと、あまり問題視はされていない。
何より連邦はダークミリオンと違いそちらの研究は進んでいない。
「状況を再現すりゃ戻るっていうのはお約束だけど、そういう訳にもいかないしな」
「殴ればOK、っていうのも都市伝説らしいですね。確かにショック療法みたいなのはあるらしいですけど」
「…………でもさ、良かったよな」
それまで黙っていたクランクが口を開いた。
「何だかんだで生きてて良かった。それに時間ときっかけがあれば思い出すかもしれないんだろ、親父みたいにさ」
自分に言い聞かせるように頷きながら笑う。
「あんま無理すんなよ。それは正論だけど忘れられててムカつくのも当然なんだからな」
ジャックの指摘に影が差す。
しかしリュウがフォローした。
「とりあえずよかったじゃないか。乾杯しようぜ」

********

「身体の方は問題なさそうだよ。これで退院だ」
「ああ、ありがとう。気持ちばかり若くてどうにも慣れないが、現場復帰出来るかな?」
「……君なら問題ないだろう。しかし無茶をしすぎるなよ。治す方の身にもなりたまえ」
「ははっ、昔もよく言われたよな、それ」
からからと笑う。
彼のそんな顔を見たのは本当にいつ以来だろう、と思う。
スチュワートはバート・レミングとしての彼とは会ったことがない。だからリュウたちは見ていたかも知れないが。
「お前には本当にいつも世話をかけるな。あの時も……」
ふと思いふける。
「……あの時っていつだ?」
「アンディ?」
「色々あったが、本当に謝らなければならないことが別に……」
しばらく考えていたが、首を横に振る。
「……何にしても、働いて返すよ」
彼の癖になっているハンドサインを見せて笑い、病室を出て行く。

「…………そうだな。君が本当に謝らなければならないのは、私ではない」
医師であり年長者であるのだから、面倒事やそれを押し付けられるのには慣れている。
それに共に過ごしたということすら忘れられた者が我慢しているのだから。
「見守る方の身にもなりたまえ……私とて無力さに震えるのは嫌なものだ」

********

「おっちゃんとオレたちの写真はこれだけ、か」
「それだけあれば十分じゃないのかい?」
横から覗き込むアリアスに向かい首を振る。
「足りない……もっと、沢山、色々なものを貰ったんだ。こんなもので足りるわけない!」
「落ち着いてよ。形で表せるものじゃないだろう?」
「あ、ああ、そうだよな……悪い。当たり散らして……駄目だな、あの時決めたことがあるのに」
「決めたこと?」
「絶対に、誰かのせいにしたり、泣いたりしない。何があっても」
「そんなの難しい、というか無理だよ」
アリアスは呆れ半分、心配半分で窘めた。
友人の意地の強さは知っているが、それでもそれは聖人君子の所業である。
「わかってる。けどな、やっぱいい気しねぇだろ。昔、親父のことでおっちゃんに当たっちまったしさ」
データ端末の電源を落としながら言葉を続けていく。
「おっちゃんは、親父のことを全部自分のせいだって思っていた。けどオレはあんなの親父じゃないとか、家出とか……酷いもんだろ」
ダークミリオンに諜報員として潜りこんでいたロイと、基地を潰すために現れたファルコン。
そこでつい友人の名を叫んでしまったが、スパイ行動の露見はそのせいではなかった。
しかしロイの自爆も、その後彼がダークミリオンに利用されることも、突き詰めれば自分のせいだと彼は考えていた。
「オレに正体とそのことを明かした時、おっちゃんは謝りっぱなしだった。そしてオレは決めた。もっと色々知って、強くなるって」
「でもこんな状況、嫌で当然だろう?」
「生きてるだけマシだ」
「無理はするんじゃないぞ、クランク」
いつの間にか入ってきていたロイが、神妙な面持ちで言う。
実の親子だ。そのうちに隠したくらい感情くらい読み取れる。
それでも何でもないような顔で笑うのは、“親父”に似たのか“おっちゃん”に似たのか。
「いや、本当に嬉しいよ。アンディさんの誕生日って4月10日、だよな?」
「ああ、そうだな」
戸惑いと共に出された答えに、歯を出して笑う。
「良かった。それは嘘じゃなかったみたいだな。つまりもうすぐ誕生日、ってことじゃないか!」
嬉しそうに音を立てて手を合わせる。
「パトロールついでにプレゼント買いに行ってくるよ。どうせ今日は大した任務もなさそうだしな」
椅子から投げ出した足をそのまま振り下ろし、駆けていく。

「おじさん……クランクはああは言ってるけど、やっぱり凄く無理していると思います」
「ああ、そうだな……俺も忘れていたクチだから、アンディのことはとやかく言えないが」
しかしその心中は察するに余りある。
何故いなくなったのか。
何故忘れてしまったのか。
ぶつけようのない焦燥。それが複数人、複数回だ。
そのうちに感情をセーブする手段を覚えてしまった。
本人が望んで修得したものでもないにも関わらず。
16という歳相応、人並みに――むしろそれより強く――笑ったり怒ったりはする。
それでも時に差す哀しみの影は、どこまでも深かった。

********

そんなことを知る由もない彼――アンディ・サマーは最近のレースの記録を興味津々で見ていた。
傍にいるリュウやジョディは気が気でならない。
特に、ファルコンはまだ走っているんだな、と笑った時には僅かな希望を抱かずにはいられなかった。
「……あんたも結構速いって聞くけど」
堪えきれずに問うが、目を輝かせるばかりだった。
「ジョディ、どんな風に話したんだい? 確かに何度か勝っているけどまだまだだよ」
「べ、別に……記録を見せただけよ」
「それに君も速かったらしいじゃないか、リュウ・スザク。君はもう走らないのか?」
「この5年で結婚したからな。あんまりハルカを心配させるわけにもいかなくてさ」
無論、引退したというのは嘘である。
5年の時を経て復活したF-ZEROグランプリに、彼は出場し続けている。
ただし、その登録名はキャプテン・ファルコン。
公にするわけにもいかず、このような理由をつけ表向きは引退し、彼はそのまま伝説となった。
無名の新人から、一気にファルコンと争い続けた一流レーサーとなった男として。
そして裏では、ファルコンを継ぐ者として。
「とにかくファルコンの速さが健在で良かったよ。この歳にもなって恥ずかしいが、私にとっては憧れなんだ」
「……ああ。俺にとってもそうだ」

――――けど、俺の憧れはあんただったんだ。

そんな文句が飛び出しそうになるのを抑えた。
ジョディが目配せしている。
――わかっている。言わないさ。

「兄さん。私、久しぶりに兄さんのコーヒーが飲みたいの。設備はあるし、リュウにも淹れてくれる?」
そしてその違和感を隠すように話題を変える。
彼は笑って頷き、給湯室へと向かった。
入れ替わるようにジャックが入り、眉と声をひそめながら問う。
いつまでこんな状態が続くんだ、と。
「……待つしかないのよ。今の状態は歪んではいるけど安定している。そこに下手に刺激を与えたら、全部が壊れてしまうかもしれない」
「それなら忘れていた方が幸せってか? そんなわけねぇ……少なくとも俺はそう思うぜ」
「おい、やめろよジャック!」
「お前だってそう思ってるだろ! だいたい散々おちょくられたことを忘れたのもだけどな、リュウやクランクにどんだけ迷惑かけたかすっぱり忘れてる方が俺には我慢ならねぇ!!」
「でもどうしようもないのよ。それに戻す方法を考えていないわけじゃない」
コーヒーを淹れさせたのもその一環。
何しろバート・レミングは喫茶店のマスターなのだから、コーヒーを淹れるという行為にも特別な意味を持つ。
彼の内に眠る記憶への足がかりを、少しでも増やすために。
「わかってるさ。ジョディが辛いのもな。けどずっとあいつがあんなんでもそ知らぬ顔、なんて無理だろ」
リュウもジョディも答えない。
沈黙の中に開閉音が響き、渦中の人物がトレイを手に入ってきた。
「ジャック、君の分も淹れてきたぞ」
「……けっ」
トレイに載ったマイカップにそれぞれ手を伸ばす。
「…………俺のコーヒーの飲み方……言ったっけ?」
リュウが砂糖とミルクを手渡しで受け取ってふと呟いた。
ジョディとジャックが目を合わせる。
コーヒーを味わうなら普通はブラックで飲むものだ――ただし甘くすることを責めることは出来ない。
本人にとっては喧嘩のきっかけになるくらいの、意地の張りどころだからだ。
「ん? 何となくそう思ったんだが、やはりブラックかい?」
「いや、俺はミルクも砂糖も入れるけど……よくわかったな、って」
希望を込めて肯定する。
コーヒーは備品で淹れたとは思えないほど香り立ちその味を伝えていた。
「何となくだが、相手に合ったテイストがわかるんだ。今の君は……砂糖では誤魔化せない渋み、かな」
「流石よくわかるな……ちょっと引っかかることがあるんだ。だけど、大丈夫だから」
――――本当に、ピッタリで美味しい。
でも“いつもの”じゃないな――――
それは設備の差か、記憶の錯誤か、淹れる人間が変わったからか、受け取る人間が変わったからか。
奇異と期待の視線が集まるが、相変わらず彼は疑問符を浮かべるばかりだった。
「……もしかしてお気に召さなかったかな? すまない」
「ううん。兄さんのコーヒーは相変わらず素敵ね」
――でも。
そんな接続詞が飛び出しそうになるのを抑える。
今の彼を責めても仕方がないのだ。

「それじゃあ、俺そろそろ帰らなくちゃいけないから」
リュウが慌ててその空気を断ち切る。
表向きパイロットを辞めている彼は高機動小隊においては非常勤という扱いである。
入り浸ってはいるが、リュウには別の任務がある――――キャプテン・ファルコンという任務が。
ドラゴンゴーストでファルコンハウスに戻り、秘密の通路からブルーファルコンのもとへ向かう。
着替える中、メットを見つめながら手袋を強く握り締めた。

――――彼から託された使命。彼が忘れてしまった使命。

「砂糖くらいじゃ誤魔化せない、か」
改めて思う。
彼は何を思って戦っていたのだろう。
あの時彼は、幸せだったのだろうか。
それとも、忘れた方が幸せということなのだろうか。
そんな考えをバイザーの奥に隠し、ブルーファルコンに乗り込んだ。

********

クランクの予想通り、街は至って平和だった。
変わった所といえば風が少し強いくらいだ。
4月になったせいか品揃えも以前と少し変わっている。
ジョディが今使っている、猫がプリントされたマグカップと同じデザインの兎カップを見つけ、早々に会計を済ませた。
「もうちょっと豪華な方がいいかな?」
5年ぶりの誕生日。“彼”の認識だと10年ぶりだ。
「だけど大切なのは気持ち、だよな」
彼が生きていて、誕生日を祝うことが出来る。それだけで嬉しい。

――――でもあのキャプテン・ファルコンとバートのおっちゃんは消えてしまった。

そんな囁きが聞こえた気がして、慌てて頭を振りかぶる。
記憶がどうであろうと、彼は彼だ。
たとえバートとしての記憶を忘れ去ってしまったとしても、アンディとこれから思い出を作ればいい。
駐車場にとめたドラゴンバードに乗り込みエンジンをかける。

―――それって綺麗事だよな?

囁きと共に閃光がコックピットを包んだ。

********

彼ががくりと膝を突いた。
顔の傷跡を抑え息を切らせる。
「どうした、アンディ!?」
「兄さん!」
苦しげな息。しかし途切れ途切れに問いかける。
「クランクは……あの子は、どこへ行ったんだ?」
「!? アンディ、君はまさか……!?」
ロイに支えられようやく立つ。激しい眼光。
「クランクはどこだと聞いている……!」
「だ、大丈夫です、クランクならちょっと街に……あれ!?」
叫び声を上げたルーシーに注目が移った。
戸惑いつつ報告を続ける。
「クランクのマグレットの反応がありません!!」
発信機の役割も持つ通信機だが、どんな呼びかけにも応答しないという。
「ドラゴンバードは!」
「あ……健在です!」
ほっと一息つくが、そんな余裕はなかった。
彼は既にその身を翻し駆け出していたからだ。
「落ち着け、アンディ。場所くらい聞いてから行きたまえ」
「! そ、そうだな……」
また息を荒げ傷を抑えると、ジャックがつかつかと歩み寄った。
「で、そんな反応をするってことは、思い出したのか?」
「思い出す? いや…………何故だかわからないが気になるんだ、クランクのことが……」
「とりあえず現場に向かうわよ!」

********

そこは、荒野だった。
生気のない強い風が彼のジャケットを煽る。
木は葉もなく立ち枯れ、そのまま倒れてしまったものもある。
雑草すらもここでは細々としか生きていけない。
神殿らしきものも柱がいくつも壊れ廃墟と化している。
「何だよここ……」
ミュートシティでドラゴンバードに乗っていたはずなのに。
そのドラゴンバードは影も形もない。
「これってもしかしなくても異次元って奴か!?」

「そうだよ…………クランク」
振り返るとそこには苦笑いのバート・レミングが立っていた。
「おっちゃん!」
抱きつこうとし、寸での所で留まる。
「何で……何でおっちゃんがここにいるんだよ!?」
「5年前のあの日……リアクターマイトのエネルギーにより、この異空間に飛ばされた。そして君が私に会いたいと願ったから、私は君の前にいる」
スチュワートの読みどおりだ。

「けどよ、俺たちの所にもおっちゃん……というかアンディさんは現れたぞ!」
肩をすくめてクランクの眼を見る。
「ミュートシティに帰りたいと願い続け、次元に綻びが生じたのを機に帰還しようとしたが、肉体と記憶の一部、そして今の私に分かれてしまったのさ」
「おっちゃん……」
慌ててその手を取ろうとするが、すうっと突き抜けてしまった。
「ああ、今の私は記憶の断片。肉体は向こう側に帰ったからな。しかし君まで引きずり込んでしまうとは……すまない」
「おっちゃん、らしくないぜ」
ニヤリと口元を上げ、笑顔を見せた。
「笑顔で客を迎えてこそのマスター、だぜ」
「ああ。だが私は何も出来ない。一刻も早く戻れるよう祈る、それが私が出来る唯一のことだ」
「祈ってどうにかなるもんなのかよ」
彼は笑う。
「この世界は“夢”なんだ。そしてそれを実現に近付けるちからがある。だから私は今まで生きてこられた……もっとも、今は他と切り離されて廃墟となっているがね」
「夢か、なら……」

********

ドラゴンバードはショッピング街裏路地の駐車場に停めてあった。
異様な発光は既に収まっているようだった。
車が荒らされた様子もない。
「これじゃまるで神隠し、だな」
ため息をついたジャックに、落胆した彼。
「クランク……クランク・ヒューズ、ロイの息子……何故こんなに気になる?」
アリアスがデータチップを取り出して彼の端末で中身を開いた。
「バートさん、これを見てください」
「おい、やめるんだアリアス!」
「バート……前もそう呼ばれたが……」
「あんなに仲良く暮らしてたのに忘れられてるって凄い残酷です……それに僕だってバートさんに忘れられたくはないんです」
それは午前中に集めた“バート・レミング”の写真の束。
「貴方は10年間眠っていたのではなく、皆と一緒に過ごしていたんです」
そしてスチュワートに深々と謝罪をする。
彼のこの姿に耐えられなくなっての独断で。すみませんでした、と。
「……そんなこともあったような気がする。だが、思い出せないんだ。この写真に見合うだけの記憶が戻らない」
「クランクに会えればわかるはずです! だから何とか見つけないと……!」
だんだんヒートアップしていくアリアスをジョディが落ち着けた。
「この辺りのエネルギー反応、凄い……おいらショートしちゃうかも」
「リアクターマイトがまた悪さをしたって奴か?」
「ハルカにちょっと聞いてみるわね」
ハルカも詳細は知らないが、仮にも元ダークミリオンの女幹部である。
連邦所属の高機動小隊にとってはありがたい情報源だった。
「リアクターマイト……人の心をエネルギーに変える力。たとえ異世界であろうと、その想いが強ければ必ず届く……そう思うわ」
「じゃあ皆で祈るしかないな」
ジャックが捨て鉢で呟くが、その口元には微笑が浮かんでいた。
次々と皆が肯定の意思表示したが、当の彼は黙ったままだった。

「それが……」
「何を戸惑う、アンディ・サマー!!」
「キャプテン・ファルコン!!」
ジョディが連絡したせいか、これもまた運命が引き寄せたのか。
「お前は……そんなところで立ち止まるのか!」
「だが、思い出せないんだ!! この写真を見ても、何も!」
項垂れた。
「……何も、思い出せないんだ。だが、忘れたくなんて、なかったはずなんだ!」
「ならば自分の力で掴み取れ! リアクターマイトと反応出来る人間は限られている。それにクランクに謝る必要があるのだろう!」
小さく頷き、コックピットに座る。
「クランク……君に詫びたい……いや、君と笑いあいたい……」
エンジン室で、火花の他に白い光を舞わせるようになった。
そして強い風が吹き抜けた。

更に風が強くなる。

「「「帰ろう……一緒に」」」

閃光が再び走った。

********

「クランク、無事か!?」
「自分の心配からしろよ……本当に変わらないな、おっちゃんは」
「皆にも感謝せねばな。そういえばリュ……キャプテン・ファルコンは?」
くすりと笑いながらジョディが答えた。
「あなたに檄を飛ばした後風のように消えたわ」
「ははっ、そうか」
軽く笑う――そしてそのまま、倒れこんだ。
「おっちゃん!」
「兄さん!?」
「アンディ!」

********

4月10日。
彼に割り振られた病室の扉を開けると、ベッドの上で半身を起こした彼がいた。
スチュワートが微笑む。
「面会を許可するよ。入りたまえ」
その様子を眺めていた彼は、パチパチとまばたきをして、目の前の青年に笑いかけた。
「クランクか……大きくなったね」
「……久しぶり、バートのおっちゃん」
「あんなに小さかったのに……ブラックは飲めるようになったかな?」
「ああ……ああ!!」

********

ファルコンハウスで彼が淹れたコーヒーは、備品で淹れたものとは全く香りが違った。
「今回は……甘いな」
「憑き物が落ちたようですので」
リュウが嘆息し、彼はくすくす笑う。
そしてクランクに満面の笑顔でカップを手渡した。
「君にピッタリなテイスト……5年前から考えていたんだ。それよりちょっと渋くなったがね」
「ありがとう! 大人になったら絶対飲むって決めてたんだ!……まだ16歳だけどさ」
そして彼のためにバートが淹れたコーヒーはほろ苦かった。
「でも苦いだけじゃない……甘いんだ」
「君はまだまだ修行がたりないようだからね」
「スッパリ言ってくれるなあ、おっちゃんも」

********

「ところでおっちゃん、何か忘れてない?」
クランクの一言に幾人かが反応する。
「おや、何だい?」
「4月10日は……おっちゃんの誕生日さ!」
――やべ、用意してねぇ。
そんな呟きを耳ざとく聞き取り、発言者を頭の中でリストアップする。
「オレからはマグカップと……これ」
銀製のペンダントには中に写真が入るようになっている。
クランクが持っているものと、同じ。
「これ、好きな写真入れなよ」
「ああ、考えておくよ」
そして他の人間からも次々とプレゼントが渡される。
「ならば私は……これだ」
ハルカを呼び、2人掛かりでそれを運ぶ。
それは巨大なケーキだった。
「久々の料理だから少し張り切ってしまったようだよ」
「大丈夫だよ、余ったらルーシーが全部食べるからさ」
「そんなに食べないわよ!」

談笑は夜が更けるまで続いた

その中でリュウのテーブルに行き耳打ちした。
「ありがとう、君のおかげだ……勇気を取り戻せたのは」
「マスター……おっと、バートさん? アンディさん? まあいいや。実は俺、あの時の記憶飛んでてさ……」
「え?」
「だから多分あんたを呼んだのは“キャプテン・ファルコン”の魂だよ。それに俺を励ましてくれた回数なんてどう返していいかわからないぜ」
「………………それでも、ありがとう」
笑って、コーヒーを注ぎ足した。
ミルクと砂糖が輪を描いて溶けていった。

 

バートさんお誕生日おめでとー! ……らしからぬSSでしたが、いかがでしょうか。
ファル伝最終話見た時大泣きしたんですが、開き直って考えを変えました。
「記憶喪失で帰ってくればいいんじゃね?」
あれだけのパンチかましておいて何の代償もなく帰ってくるのは何となく嫌だった。
あと大人クランク書きたかった。
途中に出てくる異世界はスマブラ世界の亜空間なイメージ。
元々はスマブラ世界に属していたけど切り取られた設定。そんな裏話。

 

テキストのコピーはできません。