Greensleeves
夜が、更けてきた。
情報の整理は大体片がついたし、BGM代わりの音声データも大した事は入っていない。
そろそろ寝ようか、と思ったところでヴィレッタの思考が止まる。
そして慌てて一つのデータを再生しなおす。
聴き間違いではない。
何度も繰り返した。
「どういうことなの……?」
一緒にする仕事の時、大抵はギリアムが呼び出すのだが、その時呼び出したのはヴィレッタの方だった。
「ごめんなさい、少佐。どうしてもあなたの見解を聞きたくて……」
「構わないさ。それで、何について聞きたいんだ?」
「音声データよ。今、再生するわ」
『お前がイングラム・プリスケン少佐か……』
『……む? この男…………何者だ、貴様!?』
『お前と同じような宿命……並行する世界を彷徨う宿命を背負った者……』
『何だと!?』
『だが、二人の進む道は別の物になるだろう…………俺には、それがわかる』
『…………お前の目的は何だ?』
『とある者たちの追跡調査……だった』
『だった?』
『ああ……今はお前たちと戦うことが最優先の任務なのでね』
『フ……とんだイレギュラーが紛れ込んでいたようだな』
聴きながら、ギリアムはただ無表情だった。
しかし、蒼白でもあった。
「……これ、は?」
「ネビーイームに保存されていた、僚機の通信記録よ」
ギリアムの眼の色が落ち込んでいく。息を呑んで、ヴィレッタと再生機器を交互に見る。
「……あなたの任務や宿命というものについて聞くつもりはないわ」
ヴィレッタの口調は淡々としていた。
「だけど、あなたはイングラム、いえ、私たちについて、私たちが知り得ないことまで知っている……」
黙したまま、無表情のまま、ただヴィレッタの瞳を覗く。哀しみの、色。
「イングラムとはデータでしか面識がなかったにも関わらず、ね……何故、知っているの? ……あなたは、何を、知っているの?」
止めたかった。その哀しみを。しかしその術は彼の内にはない。
「言いたくは、ないのでしょう? それはわかる。でも、私は真実を求めている。偽りなき、真実を」
――真実。それを告げれば……彼女の哀しみは止まるだろうか?
冷たい銃口を突きつけるような眼を、やめてくれるだろうか?
「……私は、あなたを信じたい。あなたは、私を、信じてくれたから。信じられるって思ったから……このままだとわからない。私のことも……あなたのことも。あなたの見せた優しさ、信頼が、偽りでないのなら……」
ヴィレッタは息をついて、はっきりと、しかし小さな声で言った。
「あなたの見解を聞かせて。ギリアム・イェーガー」
刻が、止まったように。
動かずに。動けずに。
瞳を合わせたまま。
「…………すまない」
沈黙を破る声。
「私に、その答えを言うことはできない……できないんだ、ヴィレッタ・プリスケン……」
それだけを、苦しげに答えた。
どちらも望まないであろう答えを。
「そう……」
静かに、少なからず失望して。
「わかったわ。あなたがそう言うなら……何も、聞かないわ」
距離を徐々に広げていく。
「……さよなら、少佐」
独り、残されたまま。
去り行くヴィレッタの姿を眼に留めて。
「さよなら、か…………」
残されたデータを何度も再生する。
イングラムの、声。
他人が話しているような、自分の声。
それからしばらく経ったが、それ以来ヴィレッタは全く、ギリアムと話をしていない。
偶然出会うということもなく。
これまでの日々が嘘であるかのように。
……そう、嘘。偽り。
彼を信じて全てを語ったことに対する代償を求めていたわけではない。
ただ……信じてほしかった。
彼だけは、偽りであって欲しくなかった。
「おはよう、リュウ」
アヤの声でふと我に返る。
「何か嬉しそうね。それにどうしたの、その荷物?」
「へへっ、昨日休みだっただろ? それでさ……」
「五分遅れた理由が先だ、リュウセイ」
「へ~い……」
……そう、こちらの方が先、だ。
SRXチームと行動を共にし、導くというイングラムに与えられた使命がある。
「それで、昨日何があったの?」
「おう、聞いてくれよ。昨日街で偶然ギリアム少佐に会ったんだぜ!」
こんな時に、か。……何という因果だろうか。
作為的なものを感じるのは、彼の能力を知るが故か、それとも少しばかり後悔しているせいか。
――後悔?
彼は結局信じてくれてはいなかった。
勝手に期待して、勝手に裏切られただけだけ。
あるべき姿に戻っただけだ。悔いることなど、何もない。
「そういえばしばらく少佐の姿を見ていなかったわね」
「ああ、ずっと忙しくって、昨日ようやく休みが取れたんだってさ。それで、少佐と一緒にゲーセン行ったり飯奢って貰ったりしたんだ」
それは嘘、だ。どちらかと言うと暇を持て余しているのはわかっている。
やはり作為……か。
「……少佐も災難だったな。折角の休日によりにもよってお前の相手とは」
「全くね」
ライとアヤ二人同時に呆れられ、リュウセイは膨れ面になる。
「何だよそれ……少佐が誘ってくれたんだぜ? それで、これ少佐からのお土産。ライには干菓子で、アヤと教官にはこれ。プライズ品で悪いって言ってたけど」
「あら、可愛いテディベアじゃない。ちょっと意外だけど……フフッ、今度会ったらお礼言わなくちゃ」
満面の笑みで喜ぶアヤ。かなり引きつった顔のライ。
そしてヴィレッタはやや引き攣ってはいたが無表情で受け取った。
「とりあえずこれを自室に置きに行くこと。10分後に訓練開始。リュウセイ、お前は遅刻の反省文を書け。わかったか?」
「了解」
本当に、厄介なものを持ってきてくれた。
かなり大きなテディベアを人目につかないよう気にしながら抱えていくのは、骨。
……ふと、横道を見た。彼ではないが……予感が、したのかもしれない。
「ギリアム少佐」
その彼が、振り返った。
「おはよう、ヴィレッタ」
互いに、無表情だった。
「折角だけど……返すわ、これ。ぬいぐるみなんてもらっても邪魔なだけだから」
無言で頷いて受け取る。自動販売機から出てきた飲料水をヴィレッタに差し出すが、彼女は断った。
「どういうつもりなの? SRXチームを抱き込んで」
「リュウセイに会ったのは偶然……少なくとも、私は、そう思っている」
無意識にしていたかもしれない、と暗に言う。
「贈り物と嘘は意図をした、が」
「突っ返されるのもその内……というわけね」
「……君に会えば或いはわかるかもしれない、と思ったんだ」
続けた言葉に怒りを覚える。
「あなたは……仄めかすばかりで…………」
肩が震える。
「肝心なことは、何も言わない」
いつもそうだ。いつも。そして無駄な期待をさせられる。
「……否定はしない。だが……言わないんじゃない。言えないんだ」
苦しげに言うが、ヴィレッタの瞳は冷たかった。
「今度は言葉遊び?」
「違う……私の話を聞いて欲しい…………」
ギリアムの声に必死さが増すにつれ、ヴィレッタの心は冷えていく。
ここまで冷たくなれるものなのか、と彼女自身驚きながら、軽くあしらった。
「もういいわよ。どうせあなたは何も言えないでしょうから」
「今度は言える! 俺は逃げない!!」
張り上げた声に、ヴィレッタだけでなく当のギリアムまでもが驚いていた。
眼を瞠り、そのまましばらく見つめあっていた。
「……すまない。だが聞いてくれ……私は、あの時から考えていた。あの時言うことができなかった、君の問いへの答えを」
神妙な面持ちに戻った。一人称も戻っている。
“俺”が本来の彼の一人称なので、戻った、と言うのは少し違うが。
「何故……考える必要があったの?」
ヴィレッタもつい引き込まれる。あの時から答を探し続けてきたのは、彼女も同じだったから。
「…………私は、本当は何も知らないんだ」
何を、言い出すのだろう。
あれは確かに――――
「何も知らない。だがそういうものだと何故かわかって、口が勝手に動いていた…………知識故ではなく、直感。しかもその原因は、わからない」
――――確かに、おかしかった。
「どれだけ考えても、そんなものだった」
自嘲を含んだ、諦めにも似た表情。
「……それを信じろ、と?」
「強制はできない。既に私は君を裏切っている」
真剣な眼差し。
「……結局、私が求める真実はなかった、というわけね」
少し卑怯だ、と思う。
過去のヴィレッタもそうしていたが……こうされては仕方がないではないか。
それを否定するとしたら、彼女自身がまず否定されてしまう。
「そうだな……いや、あったな。私が教えられる真実が」
「何?」
ギリアムが、微かに笑った。
「……私は、君を、信じている。偽りではなく、真実に」
眼を丸くして見つめた。
逸らさない視線。
「…………わかっている。私もそれを、信じたいから」
「ときに、ヴィレッタ」
「何?」
ギリアムが急に間の抜けた声で言うので、ヴィレッタもついつられてしまった。
「私の予測が正しければ、あと2分で君にとって重要な時刻のはずだが」
「……あなたって言える場合でも婉曲表現を使って、肝心なことは言わないのね」
それが癖になっているのさ、と肩をすくめる。
「とにかく行かなくちゃ……そういえば、少佐」
「何だい?」
「……あとで、さっきのぬいぐるみ取りに行くから。最悪なセンスだけど……貰っておくわ」
「フフ……了解」
「また、ね。少佐」
走り去るヴィレッタの姿を瞳に留めて。
「……訓練相手をするって申し出、し忘れたな…………」
呟いてから微笑する。あとですればいい話だ。
別れの言葉は、さよならではなかったのだから。
少し仲に亀裂の入るギリヴィレ。
「バディム」か「プリスケン」か、でひたすら悩みました。
少佐にとっては「バディム」なんですがこのシチュだと「プリスケン」の方がしっくり来たのでそちらで。