いつの未来も、きっと幸せな
データルームの入口にはずっと在室を示す掲示灯が光っている。ドアベルのボタンを押して、室内との通信が開くのを待った。
「ギリアム少佐、入ってもいいかしら。何か手伝えたらと思って」
《君か、ヴィレッタ。歓迎する》
電子ロックの解錠と共にプシュッと空気音がして彼女を招いた。彼女が腕から下げたのは給餌用の保温バスケット。会釈するとポットを手に微笑んだ。
「そろそろコーヒーのおかわりも欲しい頃合でしょうしね。詰め過ぎよ? それと軽食も」
バスケットを置くとサンドイッチが入っているのがわかる。トーストと少し溶けたチーズの薫香と共に瑞々しい野菜の色が本能を刺激した。
「これは君が?」
「あら、よくわかったわね」
微かに、ではあるが目を丸くする彼に対ししてやったりと満足感を得た。勘が鋭い彼の意表を突くのは難しい――――その勘はあまり女心には働かないようではあるが。
「食堂と購買のメニューは知り尽くしている。そしてレーツェルとは具の選択が違う。いただいても?」
「勿論。あなたに食べて欲しくて作ったのだから」
使い捨てタオルで手を拭き差し入れに噛み付く。
「美味いものだな。それに自覚はなかったがだいぶ空腹だったようだ。ありがとう、ヴィレッタ」
優しさに触れると身も心もほぐれる。淹れたてのコーヒーをアクセントに、穏やかな休息を楽しんだ。
「……だが、すまない。肝心のデータに関しては行き詰まっている。悔しいがやはり奴らの出方を……」
「そんなことはいいのよ」
それでも今は軍務の只中であり、無粋ではあるが本命であろう話題に入ると、ヴィレッタは仮にも地球圏の未来に関わることをそんなことと切り捨てギリアムの苦くしかめた顔を真っ直ぐに見つめた。
「あなたが全てを背負い込む必要はないし、むしろそうやって無理をされることを心配してここに来たの」
地球は現在、異世界から現れた要塞・ソーディアンを拠点とする修羅という勢力の侵略に晒されている。修羅の反逆者・フォルカの協力は得られたがソーディアンは次元障壁に守られており反攻の目途は立っていない。
「思い違いだったら申し訳ないのだけど……あなたはシステムXNを破棄したことに後悔や責任を感じているんじゃないかって」
修羅とは別の異世界から訪れた異邦人であることがインスペクター事件で判明したギリアムだが、その戦乱の一端となったシステムXNという次元転移装置を開発者として――その装置の一部として、葬ることを選択した。もっともギリアムにとってそれは表向きの理由であり、真実の1割も含まれない欺瞞だが、その事実は所謂冥土の土産として話したシャドウミラー相手ですら真実の3割程度という所で彼のみが知ることだ。
「……そうだな。否定はしないさ。いくら人に余る力とはいえ、こういった敵が現れることは想定すべきだった」
場合によってはその本来の姿である禁断の機動兵器の力すら必要となるかもしれない、と。ただの感傷やエゴで強力な手札を失ったのだと。
「だがあの装置の処遇についてだけは譲れない一線だ。それにダガーの奪取という手が残されているだけ今は救いがある。だから後悔はしていない。心配をかけて済まないな、ヴィレッタ。思えばシャドウミラーの時も君はずっと俺を案じてくれていた」
哀しげではあるが柔らかい微笑でギリアムは彼女を見つめた。ヴィレッタの鼓動がにわかに高まって、過去に囚われずこちらだけをもっと見て欲しいと、そんな物悲しい表情より心からの笑顔を見せて欲しいと、欲が高まった。
「そうだ。君に言っていなかった言葉がある。今更ではあるが聞いてくれないか」
ギリアムが真剣な面持ちで瞳を見据えて、心が見透かされたのかと、しかし思い違いであったら、と揺れてしまう。
「ただいま、ヴィレッタ。ありがとう、早まった真似をするなと止めてくれて。君は望んでくれた、俺がこの世界で生きることを」
望んでいたよりきらめいた笑顔で、少し予想とは違った言葉を真剣に伝えるギリアムに対し、思わず笑みが溢れた。
「ええ、お帰りなさい、ギリアム少佐。私も言えていなかったからおあいこってことで」
ヴィレッタの温かな笑顔に急激に胸を締め付けられた。ギリアムとて彼女の好意は理解していたし、この意気投合出来る強力なビジネスパートナーであり親友が異性であることに意味を見出さないほど枯れてはいない。
「……君が好きだ。いつかこうして『おかえり』と『ただいま』を毎日言い合えるようになれたら、と望んでいる」
だから思わず告げてしまった。しかも恋愛感情を通り越して、共にいる未来を求めていることを。
「え、え……!? ぎ、ギリアム少佐!?」
ヴィレッタは理解が追い付かなかった。ギリアムは任務で女性を口説くことも多々あるはずだがそれと同じとはとても思えず、彼の性格からしても仲間に冗談や、例え任務としてもそれをするとは思えない。それでも戦友だと思っていた――鈍感なのはどちらか、単にギリアムが隠すのが得意なだけか。
「…………素敵な提案ね。約束の証を下さる?」
肯定の言葉を得られるとコーヒーの苦味がまだ残る唇が甘く重なった。
「ねえ、少佐……いえ、ギリアム……もっとあなたを……」
本能と溜め込んだ想いに火が着いて思考の歯車が狂い、吐息が上がった。上気した頬と濡れた瞳でもっと強い約束を欲した。
「おやおや、君は案外子供だな」
しかしギリアムは口の端を吊り上げ抱きしめるだけに留める。正直な所を言えば彼の理性もだいぶ削られているが、それに流されてしまうわけにはいかないという挟持があった。
「いきなり男を挑発するものではない。もっと互いのことを知るべきだろう。それに恋人同士がすることは多彩だ。そうだな、俺は……観光名所を君とまわりたいかな」
「そ、そうね。正式なデートもせずいきなり、なんて……」
身体を求めてしまうのはそういった工作も出来るようになっているバルシェムとしてのプログラムだろうか、と不安になってしまうが彼は抱きしめたままヴィレッタの頭を優しく撫でた。
「それに君は稼働して数年だろう。肉体年齢も精神年齢も別で相応の知識もあるとはいえ、実際の人生経験を踏んでない無垢な少女でもある君をいきなり抱くのは少々抵抗がある」
その声色も子供に言い聞かせるもので流石に反感を覚えた。
「子供扱いしないで」
「ああ、君が素敵な女性だということは十二分に理解している。だからこそ取るべき段取りはすべきだ。でないとイングラムに申し訳が立たない」
別の出会い方をしていたなら、彼を縛り付ける因果の鎖がなかったなら、と思わず考えてしまう似ているが違う存在。
「……イングラムのことを持ち出すのは卑怯よ。何も言えなくなってしまう」
その声色に影が差しつつ、むくれているであろうヴィレッタをただ慈しむ。
「そのために言った。彼に恥ずかしい生き方はしたくないだろう。さあ、恋人の時間は今日はここまでだ。修羅への反攻作戦以外にも検討すべき事項はあるからな」
名残惜しくも彼女を手放し、カップに入ったまま少し冷めたコーヒーを口にする。
「そうね。手伝わせて」
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「……ということで俺とヴィレッタは交際している。お義兄さんと呼ぶべきかお義父さんと呼ぶべきかはわからないが、彼女との永遠を歩む許しをくれないだろうか」
イングラムは面食らった。アストラナガンと共に帰還を果たし、SRXチームの成長を確かめ、皆に謝罪し、ギリアムに警戒しつつ接触すると本人は事もなげに惚気けて見せて――――アストラナガン内部に蓄積された交戦データはどうやらこの世界では役に立たないのは幸いではあるが――――頭を深々と下げた。
「ひとまず義兄だとか義父だとかというのはやめろ、ギリアム・イェーガー。そういったものは当人同士の問題だ。そして俺に反対されたからと諦める人間でもあるまい、お前は」
困惑しつつも感じたことを告げる。実際の所交際相手としては信頼出来る人柄だとは判断できる。因果律の番人としては別の大刧でこの想いが呪いに変わるという警鐘が鳴っているが、そんな先のしかも別の世界のことを気にしても仕方ないし、この世界のヴィレッタが1人周囲の老いに置いていかれるよりは、傷の舐め合いだろうと似た者同士で穏やかに互いを想い生きていく方がいいだろうと思えた。
「ありがとう、イングラム。私の選択を肯定してくれて」
「構わん、それがお前の幸せなら」
本音を言えば少し寂しい。見ない間に恋をして絆を育んで様々なことを学んだのだと、父親のような――ギリアムの言うようにあながち比喩でもないのだが――心境になり、これが勝ち取った未来かと目を細めた。
「式には呼べ。そしてヴィレッタ、何かあったら頼るといい。全力で性根を叩き直してやる……少しばかり恨みもあってな」
「酷いお義兄さんだ。俺も積年の遺恨を捨てて頭を下げたと言うのに」
「2人とも、並行世界のことを持ち出すのはやめなさい」
睨み合って、しかし自然とほぐれて喜色が溢れた。
「それとこれは言っていなかったな、ヴィレッタ……ただいま」
「……フフッ、お帰りなさい、イングラム」
先の説明で省いたやりとりが思いがけなく再現されて破顔する。帰る場所があるというのは、大切な人と共に歩めるというのは彼らにとって替えがたい幸福だ。
「あとは俺たちが帰るだけか」
決戦の時は近付いている。転移の時が来れば見えなくなる青い星を、これからの故郷となる場所を遠く見遣った。
「問題ない。どれだけ遠い可能性だろうと掴み取るまでだ」
「皆がいるもの、全てを賭けるだけ。未来は……私たちの手の中に」
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ワンライ『稚気』『ただいま』『こっちに集中して』『歯車が狂う』『あなたに食べて欲しい』で書きましたが60分で収まらなかったものです。
執筆速度下がってるよー。また特訓だー。
私には珍しくOG外伝のギリヴィレです。公式からの燃料はなかったけどOG2での互いの問題の解決と2次のラブラブっぷりからしてこのあたりで何かしらあったのではないか、あると嬉しいな、です。
蛇足かも知れませんが『ただいま』なのと外伝部分のやりとり的にイングラムパート入れました。クォヴレー君もいいけど帰ってきてください教官!
イングラムとギリアムのライバル関係に夢見すぎではないかと己にツッコミを入れますが、幻覚キメてるのは今更ですね。
ギリアムはワーカホリックなのでヴィレッタ特製サンドイッチが好物になってくれるといいなというのも趣味と幻覚です。