恋の魔法は使ってないけど
3月と言えど、まだ夜は冷え込む季節である。
くしゃみの音が深夜の公園に響きわたった。
新聞紙とダンボールの下から、その布団には似つかわしくないスーツ姿の青年が転がり出た。
「うー、今日は何故こんなに冷えるのだ! こうなったら、サライ……」
しかし叫ぼうとしたその口を自らの手で塞ぐ。
決めたのだ。魔法に頼らず生きていく、と。
彼の名は闇野響史。肩書きは正義のジャーナリスト。
しかしその実態は、数週間前職と帰る場所を捨てた浮浪者、大魔界の魔道士、ヤミノリウスIII世である。
大魔界へ戻る道は開けず、造反した上その大魔王がガンバルガーに敗れ消滅しては戻るつもりもなく、地上で生きていくことを決めた。
幸いにして彼は地上で過ごす間に地上の空気にも適応し、人間がどのように生活を営むのかもおぼろげに理解していた。
しかしジャーナリストというのは、口で言ってすぐなれるような職業ではない。
大魔界の混乱が収まった今では特ダネもそうそう落ちてはいない。
よって、彼は毎日公園で寝泊りする生活を続けているのであった。
ジャーナリストを目指す少女――千夏に会えば、もう少しジャーナリストという職業に何か掴めるかもしれない。
しかしプライドの高い彼。少女に生活相談などというのは彼の自尊心を傷つける。
格好つけて姿を消すと宣言した手前、そう簡単に出るわけにもいかない。
おまけに、千夏は個人的な感情と家が隣同士という事情もあって、いつもガンバーチーム――特にイエローガンバーと行動を共にしている。
今の状況を知られれば、ガンバーチームに笑われるのは必至。
ガンバーチームにだけは、今の惨めな状況は知られたくない。
別にジャーナリストとしての使命を果たしていないのが悪いのではない。元々作戦上のお遊びのようなものだ。
ただ、公園で月を見上げるたび寂寞の念に駆られているのは、絶対に知られたくない。
そんな時、間違いなく浮かぶ顔。そのことも。
「亜衣子さんは優しかったな……」
記憶喪失になっていた時のことを、今になってポツポツと思い出す。
闇野の姿で彷徨っていたのを、快く家に上げてくれた。
暖かいコーヒーをくれ、思い出せるまでずっといてもいい、と笑ってくれた。
「……って、何を考えておるのだ私は!」
傍から見たら虎太郎ならまずからかう真っ赤な顔をしていたが、ヤミノリウスにはその感情が理解できなかった。
起きた時より不機嫌さを増しつつ薄くザラついた布団を被った。
無論、このままでいいとは思っていない。
とにかく人間世界での生き方を学ぼうと、昼時ぶらりと散歩に出た。
「ん? あれは……亜衣子さん!?」
慌てて電信柱の陰に隠れた。
幸い、亜衣子は気付いていないようだった。
――それにしても、何を眺めているのだろう。
彼女の目の前のショーケースには腕を組む2つの人形があった。
片方は裾の尾まで黒くビシリと決めた、男性の人形。
もう片方は、ピンクのドレスと純白のヴェールをまとい男性を見上げる女性の人形だった。
彼女はずっとその前に立ちすくしていた。
――あの服が欲しいのか? ならば買ってしまえばよかろうに。
しかしどうもそれで済む問題ではないようだった。
何故なら彼女の視線は、ドレスよりもむしろ男性の人形にこそ向けられているものだったからだ。
いくら合気道の名手といっても、むしろ女性らしさや母性に溢れている彼女に、それは似合いそうにない。
更に、ため息までつきながら手元を見ている。財布の中身でも確認したのだろうか。
しかしその予想は違った。
彼女は、闇野と2人で写っている写真を眺めていたのだ。
それに気付けば黙っておれず、思わず陰から出て、亜衣子に寄る。
ショーウインドウに2人の姿が映る。
亜衣子はすぐに気付いて振り向いた。
変わることのない、闇野の顔がそこにあった。
ただ、笑い方が柔らかくなったようだった。
「お久しぶりです、亜衣子さん」
「闇野さん!」
彼女は思わず飛びついた。
その勢いで闇野もまとめて後ろに倒れてしまった。
「きゃあ、すみません! 大丈夫ですか、闇野さん!」
「いえ、別に……」
起き上がると2人で並んで道を歩き始めた。
「もう二度と逢えないかと思っていました」
「魔道士ヤミノリウスとしてはそうだな。今は闇野響史として人間界に潜伏している」
ククッ、とヤミノリウスの笑い方をした。
「それなら、ジャーナリストを?」
「む……そのことですが、ジャーナリストというものがよくわからなくて……これも何かの縁とも思うが、何をすればいいのやら」
「……歩きっぱなしも何ですね。ちょっとお茶飲んでいきましょうか」
喫茶店に入り向かい合う。亜衣子が微かに顔を赤らめた。
「もう悪いことはやっていないみたいですね。やっぱり闇野さんはいい人でしたね!」
「それは違うな。私は大魔王のやり口が気に入らず、故に帰れなくなり、最早悪事をする理由もない……それだけだ」
「いいえ、反逆の意思を示しそれを通すこと、それだけでも素晴らしいです!」
亜衣子に正面から見つめられ説かれると、言い返すことが出来なくなる。
しかしそれが何故か不快ではないのだ。
「それにその精神、絶対ジャーナリストに向いていますわ! 圧力に負けず自分の意見を貫くんですもの!」
「と言っても、何を書けばいいのか……特ダネという奴はなかなかないはず」
「特ダネじゃなくても、今社会に起きていることを闇野さんの眼で見て感じたことをそのまま記事にすればいいんです!」
そして亜衣子は説く。
大魔界人の闇野なら、他にはない視点を持っているはず。
その斬新な切り口は確実に人々の心を動かすはずだ、と。
「それで出版社に持ち込めば、きっと本物のジャーナリストになれます!」
亜衣子の勢いに押されコクコク頷くだけの闇野だったが、だんだん心に火が灯ってきた。
「ありがとう、亜衣子さん! 早速取材に行ってくる!」
スーツを整えて駆け出していった。
支払いはしていない。する習慣もなければ、する金もなかったのだ。
苦笑しながら彼の分まで亜衣子が払った。
そして安堵のため息をついた。
彼は、あのウェディングドレスの意味に気付いていなかった。
同様に、それを眺める亜衣子の想いにも。
もう一度ショーウィンドウを見に行ったとき、亜衣子の眼にはハッキリと自分と闇野が見えた。
こうして闇野の問題は解決したかのように見えたが、相変わらずの宿無しの浮浪者であることに変わりはなかった。
しかしその書く内容は亜衣子の言ったとおり斬新で、かつ読みがいがあった。
すぐにアパートが借りられるくらいの金を手に入れ、闇野は迷わず亜衣子のすむアパートの近くを選んだ。
そしてケーキを買って、彼女へのお礼としたのだった。
5月。
天気予報ではなかった雨が帰ろうとした亜衣子を阻む。
傘はない。そもそも自転車だ。しかし合羽もない。
うなだれていたが、掛けられた声にパッと表情を明るくした。
「亜衣子さん!」
「闇野さん……どうされたんですか? こんな雨の中」
「迎えに来た。自転車は私が押そう」
手を取った瞬間、閃光が走った。
亜衣子にも闇野にも慣れた光だ。カメラのフラッシュである。
「亜衣子先生熱愛発覚! 相手は正義のジャーナリスト、なんてね!」
「千夏ちゃん!」
「おのれ!」
構えていたカメラを手放しにんまりと笑う。
「……なんてね。お2人の交際、もうあちこちに広がってますよ? 特ダネ派の私としては記事にしてもイマイチなのよねー」
「あ、あらら。どうしましょう、闇野さん」
「あまり騒ぎ立てしないでもらおうか」
亜衣子を庇うように一歩大きく前に進む。
「はいはい、お幸せに。それより闇野さん、この前の絶対新聞に載ってた評論、凄く興味深かったです!」
「当然であろう。この私が書いた記事だぞ」
「流石正義のジャーナリスト! どうなるかと思ったけど、私は応援します! じゃ!」
「あら、廊下を走っちゃダメよ。雨の日は転ぶから」
亜衣子の警告に手を振って答えた。
大魔界との戦いも終わりガンバルガーが消えても、彼女のジャーナリスト精神は不滅のようだった。
「それでは行きましょう」
「はい」
雨の静寂を傘が打ち砕いていく。
この調子では梅雨時はいつも迎えに来てくれてしまいそうだ。
そして梅雨時、6月と言えば――――
思わず傘を持ち繋ぐ手をぎゅうっと握ってしまった。
「どうしました?」
「あ、いえ、ちょっと考え事をしていて」
何度も憧れた、あのショーウィンドウの中のドレス。
もしかしたら、それは憧れではなくなるかもしれない。
「大丈夫か? 濡れておらぬか?」
「平気です。闇野さんがいますから」
2つの影は雨の旋律を聴きながら、微かに笑って進んでいく。
――――でも、闇野さんは結婚式なんて知らないわね。まずはそれが障害かしら。
「やけに嬉しそうですね、亜衣子さん」
「ふふふ……雨の音が『ガンバレ』って言っているように聞こえるんですよ」
耳を澄ますがそうとは聞こえない闇野だったが、亜衣子の笑顔をみてそれでもいいかと思うことにしたのだった。
ガンバルガーからヤミノリウス×先生(ヤミアイ?)です。
いやー、面白いっすねガンバルガー! 何よりもまず笑える!
このSSは最終話を見た後EDの再会シーンが超嬉しくてその場で勢いで書き始めた奴です。
キッカケ話もラスト数話のツンデレっぷりも美味しいですが、やっぱり亜衣子先生の所に帰ってくる闇野さん萌えです。
しかし闇野さんの口調定まらないなー。